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 昭和29年六月、大阪歌舞伎座の「高野聖」出演を最後に映画界に入った市川雷蔵が六年ぶりに舞台に出た。こんどは映画スターという名を背負って。その大阪・新歌舞伎座は、芸術院会員の市川寿海の特別出演で新旧とあざやかに対照的な親子競演である。

 この公演にはいわく因縁がある、雷蔵がカブキの世界から映画入りした時に、永田大映社長と寿海が一つの約束をした。「雷蔵が一人前の映画俳優になったら、親子で晴れの舞台に出演させよう」というものだった。それが実現して、こんどの公演になった。

 「舞台の話があったとき、別になんの感慨もなかったです。ことさらどうのこうのというこもないんだ。それに来てみると、小さい時から知っている人ばかりでね、裏方さんも、劇場の人も。ぼんぼんが立派に大きなって帰ってくれはった、ということですわ。故郷へ帰った感じがひしひしとしましたね。それに見た目には派手な親孝行だし。おやじも喜んでくれてることでしょう。本当の親孝行はこういうことでないかも知れませんが」と新歌舞伎座の楽屋で話す雷蔵は全くの現代青年だ。口調も話の中身も率直でドライである。

 「カブキに客がはいらないって、それは当たり前ですよ。芸術だの、家柄だのといって、大衆から遠ざかって、特定の人しか分らんのではね。こんどは私が中心だから、映画ファンが半分ぐらいいるでしょう。それでは九百何十円かかる一等席は高いや。映画なら五回以上は行けるものな」とこわいものなしのズバリとしたいい方。この公演は大成功なので松尾千土地社長も、永田大映社長も毎年一度の舞台を考えているのだが-。

 「僕は出ないつもりです。今度のは永田社長とおやじの昔の約束を果たしたわけで、これからは自由なビジネスです。実現しないとはいえませんが、それより僕は映画の監督でもプロデューサーでもやらせてほしい」と大きな望みを打ち明けた。

 こんどの公演は、映画で好評だった「ぼんち」と、親子で出る「浮名の渡り鳥」などで、その劇中劇が二人の「鈴ケ森」である。朝十一時に楽屋入りして、夜十時まで休みなしの舞台。二十分の幕間が最高というからきつい。注射をうち、食事をかき込みながら。しかしまだまだ若さのゆとりがみえる。

 「映画なんか、体は楽なもんですよ。しかし映画は監督が支配する幅が大きいですからね。演劇は舞台に出れば、ある程度こちらの自由でのびのびできます。客の反応をパッと受け取れるから気持ちはいい。しかし、そのため場当たりの芝居をしてしまうおそれが多分にあります。これは僕にはいけないことで」と映画人の自覚はかたい。

 「映画は監督が自分のものとしてつくるので“ぼんち”では、時代背景や一人一人の女を描くことに力が入っていましたが、こんどのは原作に近く、喜久治という男が浮きぼりにされています。やりよかったですね、僕としては」といい捨てて、舞台へ急ぐ。

 雷蔵は、生意気で愛想がないという評判であるが、それが彼のすべてとはいい切れない。とにかく、余計な言葉はなに一ついわない。俳優のインタビューには珍しいことだ。“頭のいい現代的ぼんち”というのが彼のナマな印象である。