その過去帳

 市川雷蔵が死んだ。
 故大河内伝次郎が迎えに来ていたという。中村玉緒から渥美清が聞いた話である。
 雷蔵が大映に入社した時に、一番可愛いがったのが大河内であり、死因になった病名膵臓ガンも同じである。

さよなら昭和

 四月市川寿海 八十四歳
 僕の母の姉が寿海のファンで、彼が寿美蔵時代に東京から関西に移った時に一緒に京都について行き、そのまま生を送った。

 その立場が愛人であったとしても、寿海の数多い女の一人としてしかない。“京都のおばちゃん”の存在はかくして我が家の禁句であった。

 役者と寺の娘という取り合わせに胸が躍ったのは僕自身、芸能界とかかわりあうようになってからだった。あの鮮やかな口跡で口説かれたのかと思うと、うらやましくさえあった。

 何回か寿海に逢った時にも、このことは言わずに終ってしまった。

 中学時代に京都のおばさんから、<寿海の養子になるかい>と冗談をいわれたことがある。