結婚を決意した市川雷蔵

人気スターと一女子大生はなぜ結ばれるようになったのか、話題の女性、遠田恭子さんとのインタビューの前に、この辺でまずそのイキサツを眺めてみよう。こんなエピソードがあった。

昭和三十五年の十月。ハワイに住む二世のお嬢さんで、恭子さんの大の親友である木村洋子さん(24歳)が、この月の上旬にひょっこり来日した。

遠来のお客さんに大喜びした恭子さんは、洋子さんを日本見物にあちこちと案内したが、洋子さんは「日本の名所旧跡よりも、もっと私のいってみたいところがあるの。それは、京都の大映撮影所なの。だって私、市川雷蔵さんの大ファンなんですもの。ハワイにくる彼の映画、一本もかかしたことはないわ」という。

あまり気の進まなかった恭子さんをせきたてるようにして、京都の大映撮影所を訪れることになった。

折よく、お目当ての雷蔵は撮影中で、セットを訪れた二人を、心から親切にもてなしてくれた。

そして、その夜は、京都の日本料理店へ二人を招待してくれることになった。恭子さんは、そのときまで雷蔵の出演作品はほんの二、三本見たことがあるだけだったが、素顔ではじめて会った第一印象を(およそかざりけのない俳優さんらしくない人!)と思ったそうだ。

一方の雷蔵も、万事ひかえめでいながら、その反面明るくて近代的なお嬢さん−というかねて胸に抱いていた理想の女性像とぴたりの恭子さんが、この日はじめて会ったときから“このひとこそ・・・・”として、いつまでも胸に残る存在となってしまったのだった。

それから数日経って仕事も終わったある日。ハワイの洋子さんから頼まれたサイン帳と、色紙を持って、恭子さんと再び会えるという期待に胸をふくらませながら雷蔵は上京し、いつものように帝国ホテルに旅装をといた。

そして、さっそく目白の恭子さんの家へ電話をかけ、サイン帳の件を伝えた。恭子さんは自分で受け取りにいくと返事をした。

わざわざ届けてもらったのでは悪い−とそのとき恭子さんは考え、いまから思えば気軽に出かけたのだが、このときの雷蔵との一時間ばかりのおしゃべりが、二人を結びつけるキッカケになろうとは思わなかったに違いない。

芸能人や有名人ぎらいのために雷蔵の前ですっかり固くなった恭子さんと、彼女の気持ちをやわらげようとする雷蔵とは、それからしばらくの間ポビーで話し合った。

ようやく緊張感から解放されてきた恭子さんは、こんなことをいった。「あの・・・・、私、本当のことをいうと、あなたのような芸能関係のかた、あまり好きじゃないんです・・・・」

「ほう、それじゃ僕みたいな芸能人は、恭子さんの結婚の相手としては落第ですね。じゃあもし、あなたが結婚するとしたら、どんな職業の人をえらびますか?」

「そうですねえ。お医者さまもあまり好きじゃないし・・・・。できれば、実業家か建築家のような人が、私には向いているんじゃないかと考えているんですけど・・・・」

というのが、このときの恭子さんの答えだったという。だが、恭子さんも雷蔵の人柄に好感をもった。そして交際が始まったのだった。