様式とリアル

どちらの方向性も追求することが時代劇には必要です

1963年に大映京都撮影所で一本立ちのキャメラマンになり、重厚な大映時代劇の光と影の映像美を作り出した森田富士郎。大映倒産後も、故・五社英雄監督とコンビを組んで数々の革新的な時代映画を作り上げていった名キャメラマンに、市川雷蔵、勝新太郎の大映二大スターの横顔と、五社監督と目指した時代劇とは何かを伺った。

大映は元々、戦時中の映画会社統合によって日活、新興キネマ、大都の三社が合併してできた会社。そこには他社にはないお家の事情があった。

「大映は他社に比べて、いわゆる派閥というものがない方だったんです。でも元が三社の合併ですから、技術畑の人間でも日活系、新興系という系譜があるんですよ。例えば撮影部のトップにいた宮川一夫さんは日活太秦の人ですからね。その仕事のやり方は微妙に違う。そこを会社も配慮して、同社系の人だけチームを組んでローテーションが回るようにしていたんです。だから各社の集まりでも派閥の衝突なんかが起きなかったんです。そうすることで各社の人間が、他を意識して切磋琢磨することにもなった。これが大映の技術陣を磨かせた要因かもしれません」

監督は俳優の演技を見て、その人間の才能を測る。キャメラマンならそれは、被写体としてどう写るかで俳優を見極める。森田キャメラマンから見て、大映のトップスター市川雷蔵は、他にはいない被写体の一人だったようだ。

「雷蔵さんというのは、作り顔ができる人なんです。顔の骨格が非常に丹精で。二枚目になりやすい。雷蔵さんが大映に入ってきた頃に黒川弥太郎さんという俳優がいて、少しマスクが似ていましたね。でも黒川さんと決定的に違うのは、あの目です。黒川さんというのは温和で目が優しい。雷蔵さんも普通のときに見れば、たいした目じゃないんです。それがメイクをして役には入る。すると役によって目が変わるんですよ。例えば今も残っている『眠狂四郎』のスチール写真を見てください。雷蔵さんは、眉と目の間がグッと狭まっているんです。そこで一つのキャラクターを出している。これが『濡れ髪』もののようなコメディーの場合は眉と目の間を空けるんですね。アレは確実に自分で計算していると思うんですよ。溝口健二さんとやった『新平家物語』(1955)のときにはさらに眉を貼り付けて、異常に太くしているでしょう。ですから別の言い方をすれば、険が立つ。ああいう顔は日本人には少ないんですよ。大体の日本人は、眉と目の間が空いていますから。そこが雷蔵さんに他の俳優と違った魅力があった部分でしょうね」

「眠狂四郎 女地獄」  「濡れ髪牡丹」  「新平家物語」