60年代の大映は、ほとんどの作品が大映スコープというシネマスコープで撮られている。その当時の撮り方を、雷蔵主演の『眠狂四郎』シリーズを例にとって聞いてみた。

「当時はレンズの性能が悪くて、50ミリのレンズ1本で撮っていた時代もあった。だから使い分けが全然できないんですよ。しかもアップを撮ると顔がひん曲がっちゃうから、寄ってもバスト・ショットまで。すると横長で人物がいない空間がかなりできる。ですからフレームの構図には苦労しましたね。また大映の撮り方に『野面』というのがある。これは400坪ほどのステージに、屋外と同じような自然の風景を作って撮影することなんです。野面の場合でも、シネスコではフォローする空間が広いですからキャメラがパンすると、セットだということがバレてしまうしね。私が『眠狂四郎』をやった頃には、それでも75ミリと100ミリのレンズが出てきてまだ良かったんですが、画面のフォーマットに対する認識。絵画的な感覚が必要なんです。その点、『眠狂四郎炎情剣』(1965)で組んだ、三隅研次監督の感覚は素晴しかった。それとシネスコは、コーナー攻めが難しいんです。歪んでしまうから角が撮れない。ですからシンプルな並行撮りが一番いい。狂四郎ものを観ると、襖や梁の前に平行に人物が配置されていることが多いなずですよ。屋外でもそういう撮り方をしていますから、シネスコの影響というのは大きいですね」

市川雷蔵の『眠狂四郎』ものは、ある意味様式美の世界である。それを際立たせるために田中徳三監督と組んだ『眠狂四郎 女地獄』(1968)のときには非常に大胆な撮り方をしている。

「普通に観ていても、なかなか気付かないかもしれませんね。この作品は雪が降っている中でのシーンが多いんです。でも人物には、まったく雪が降っていない。これは徹底してやってみました。人物の前と後ろだけに降らせているんです。ただそれをやってもすぐにバレるんですが、この時には空気感の深さを出すために、ステージ全体に濃い目のガスを入れて、それから雪を降らせているんですよ。そうすると奥行きが出て、ちょっと見た目には分らなくなるんです」

作品にもよるが、森田キャメラマンは時代劇が持つある種の様式。それには常に疑問を感じていたという。

「歌舞伎を基にして発展したのが、時代劇の不幸でもあると思うんですね。ヅラを被って、きれいな着物を着てということが決まりごとになったじゃないですか。そういう様式を雷蔵さんは、歌舞伎の世界にいたから若干知った上で映画の世界に来た。ですからセリフの語調や動きのリズム感まで、歌舞伎の様式をうまく映画にスライドさせて、自分に引き寄せたんですね。でも僕は、勝ちゃん(勝新太郎のこと)なんかと、時代劇をもっと別の角度に持っていけないかと話し合っていました。勝ちゃんの『座頭市』なんかは、画的にリアル感を持った面がある。時代劇には大きく二つの考え方があると思うんです。一つは様式を突き詰めるやり方。もう一つは、リアルに向くことですね。生活感を重視した描写やリズム感。何としてもそういうものを描こうとしたのが、五社英雄監督なんです。五社さんは人を斬るのも、歌舞伎的な剣舞じゃないと。人を斬る、斬られる怖さがなくてチャンバラができるか、といつも言ってました。ですから五社さんの遺作になった『女殺油地獄』(1992)。あのときには、助監督たちの頭を剃って出演させた。これが本物の月代だということをやってみたんです。ああいうリアルの追求。それをする監督がいなくなったことで、二つの考え方の一方が途切れるのが困るんです。昔は『座頭市』にしろ、『木枯らし紋次郎』にしろ、若い世代にアピールする作品があった。そういうものを作らないといけないんです。ただ思うのは、雷蔵さんの作品は今もリバイバル上映されて人気がありますね。勝ちゃんの映画はなかなか省みられない。雷蔵さんの持つ様式美から来る神秘性。勝ちゃんにはそれがいささかない気がします。リアルはその時代と折り合えるけれども、様式のように時代を飛び越えられないんだろうか。そうは思いたくないし、リアルな方向性は、まだまだ追求するべきだと思う。そのためにも作り手がもっと時代劇を勉強しなくてはいけませんね」(シネマクラブ「ぴあ」、日本映画編 2003ー2004より)