二人のスター訪問記
市川雷蔵


会社員型の二枚目

 映画俳優にはいくつかの型(タイプ)がある。雷蔵の型は非常に珍しい。内部に燃えるものは激しいけれども、外面は飾り気のない会社員といった感じを受ける。れっきとした二枚目なのだが、鼻の先に二枚目の看板がぶらさがっているわけでもない。それでいて、話せば話すほど面白くなって来る。その道の人が多いことを考えれば、やはり得難い俳優だといわねばならぬ。

 大映京都の撮影所。秋の夕暮れの冷たいコンクリートの上を、チョンマゲ姿の俳優たちが行ったり来たりしている。雷蔵もその中の一人で、『浮かれ三度笠』という時代物喜劇に出演中だ。旅姿の裾をからげて、名古屋城の門をくぐる短いカットを撮っている。じっと立っているだけでも、雷蔵自身がよくにじみ出ていると思う。長谷川一夫に代表されていた一昔前の時代劇の二枚目とはまた変った味がそこにある。長谷川一夫を「陽」とすれば、市川雷蔵は「陰」であろうか。現代の若者に共通している「不安」が雷蔵の持ち味ともなっている。

 二十八歳。映画界に入ってから五年と数カ月になる。その間に出演した現代モノはわずかに『炎上』ほか一本。他はことごとく時代モノであった。

 三島由紀夫作「金閣寺」を脚色した『炎上』が雷蔵にとって、大きな岐路の役割を果たしたことは否めない。いわゆる「冒険嫌い」で知られた映画界のことだから、雷蔵の『炎上』出演はケンケンゴウゴウたる議論をまき起した。なにしろ、クランク・インしてからでさえも議論が続いたというのだから、いかに会社側が彼の出演を危険視したかがよくわかる。と同時に、これだけ危険視されるというのは、大映が雷蔵に賭けている部分の大きさをも示している。『炎上』に出演した結果が、雷蔵の観客層を失望せしめるとしたら、それは大映の持っている絶対確実な観客層をも失うことを意味する。この賭けが予想以上に深刻なものであったことを、私は雷蔵自身の口からはじめて知った。

 『炎上』が成功を収めたことは周知の事実である。雷蔵は見事大障害を飛び越えたわけで、市川崑監督の力も見逃せないが、彼自身がぶつかって行った情熱は高く買われていい。ベニス映画祭では惜しくも賞を逸したが、イタリアの映画批評誌から雷蔵に主演演技賞が出た。どもりの青年が金閣寺を焼いてしまうまでの心の動きを、ともかく観客に納得させたの非凡な演技力である。

 しかし、こうして現代モノが成功したにもかかわらず、その後の彼は再び時代劇に舞い戻った。「安全第一」がモットーの日本映画界にあってはなかなか彼個人の意欲も実を結ばない。今のところ予定されている現代モノは来春入る『ぼんち』一本である。『炎上』を試金石とすれば、やはりこおのあたりでダメ押しの決定打を放ちたいところだろう。