二人のスター訪問記
市川雷蔵


会社員型の二枚目

 洛西の閑静な住居と撮影所の間を五年間往復して来た。出演の映画は『浮かれ三度笠』でえも、雷蔵はふだんあまり浮かれない。恋もしない。

 「無意味です」と自分でもいう。 

 「恋も剣術のようなものです。今までのぼくは相手とアウンの呼吸が合わなかった」

 当分、恋もせず、まして結婚などはしない。しても見合結婚でしょう、と微かに笑う。遠い他人のことをしゃべっているみたいだ。要するに落着いている。非情な目で自分を見つめている。仕事一本槍だが、だからといってゆとりを失っているわけではない。

 「ハムレットをやりたい」といって体を乗り出した。スケールも大きい。これは適役だと私も思う。

 「・・・to be or not to be 」の有名なセリフが雷蔵にピッタリとだぶって来る。私はこの人が苦悶や、悩みを表現しているときの表情が好きだ。それはとてもとても哀しい。ハムレットをやるとすれば、きっと計算された以上の演技が生まれるに違いない。

 「・・・で、ハムレットに似た人物を日本に当てはめて考えてみたのですよ。そうしたら、源頼家がいた」

 「なるほど・・・」

 「そこで頼家を中心にした脚本を、いま書いてもらっているところですワ」

 表面とは異なった意外な行動力がある。時代劇の中で五年間を安穏と暮らしていたわけではなさそうだ。しゃべり出すと舌が滑らかになる。

 「好色一代男もぼくの希望だったのです。これは決まりました。西鶴の本当の味を出したいと思うとります」

 雷蔵が世之介に・・・これは、と思うのは私自身が世之介に関して間違った観念をを持っているからで、そうした観念を打ち破りたいというのが彼の念願らしい。

 「欲ばっているようですが、時代劇のミュージカルもやりたいのです。たとえば道成寺とか竹取物語で、誰にでもわかるミュージカルをちゃんとした脚本でやりたい」

 「それは大変な仕事だ。日本のミュージカルはひどいから・・・」

 「歌と筋が別々やからなァ」

 誰にでもわかる映画というのが雷蔵の信念だ。くどいようだが、『炎上』が成功した原因もそのへんにあるような気がするし、あえて娯楽映画出演を忌避しないのも、映画が大衆の芸術であることをよく理解しているからであろう。

 「将来は?」

 「そう、やっぱりプロデューサーと監督を一緒にやりたいなァ。主演はしてもしなくてもいい。製作者と演出家は絶対一緒や」

 雷蔵のやり場のない不満がちょっぴり顔を出した。一見仕事を楽しんでいるように見えるが、やはり中身は燃えている。時代劇の衣装に身を包んでいても、まだ二十八歳の現代に生きる青年である。思う存分に暴れる可能性を持つ、数少ない若手俳優の一人だ。東京にいて、グニャグニャと気取ってばかりいる青春俳優を見なれている私の目には、市川雷蔵というタレントが少々怖ろしくなった。

 チラッ、と特徴のある上目づかいをして壁の時計を眺め、 

 「今日は夜間(夜間撮影)があるんです」

 と、旅鴉の格好で、彼は下駄を鳴らしてスタジオに歩いて行った。ひよわなように見えて、一本ずしんとシンの通った後姿である。