雷蔵好み

 私の場合、一冊をついやして書くテーマに取り組む前、思い立ったそのテーマをしばらくのあいだ漠然と宙に泳がせている場合が多い。そして、いざ実際に腰をあげて書き進めてゆくうち、当初私なりに考えていた道筋から外れ、あっちこっちを迂回したあげく、おもいもかけぬところへと着地するケースがある。これはとりも直さず私の作品に対する設計図の杜撰さが原因のなりゆきだが、そういうときに意外と手応えのある作品となる場合があり、今回の『雷蔵好み』は、私にとってそんな作品のひとつといえるかもしれない。

 市川雷蔵は私より九年前、昭和六年の生まれだ。戦争をはさんだ九年の差は、さまざまな意味で大きく。同世代と言う感覚はもちろんない。しかし、阪妻、千恵蔵、右太衛門、嵐寛、長谷川一夫といった戦前からの時代劇スターの時代が翳りを見せはじめ、新しい時代劇若手スターが輩出した時代があって、私はこの頃すべての時代劇を見ていたくらいの時代劇映画マニアの中学生だった。その意味では、若手時代劇スターのひとりである雷蔵を。スクリーンに登場したときから見ているという同時代感をもっているのだ。

 だが、若手スターはとかく若武者、お小姓といった印象で、風貌も重厚な既存のスターにいまひとつという説得力だった。中村錦之助、東千代之介、伏見扇太郎、そしてややおくれて登場した大川橋蔵などの東映スターも、本格時代劇の中ではまだまだという趣だった。そこへ、歌舞伎界ぁら颯爽と登場した大映の新人が市川雷蔵。勝新太郎も同期入社だが、ライバルといわれるのはのちのことで、当初は雷蔵にはかなり水をあけられていた。

 で、私はデビュー作の『花の白虎隊』をはじめ何本かの雷蔵映画を見たが、やはり旧来の時代劇スターの魅力にくらべて印象が薄かった。もちろん、私は硬派を気取るチャンバラ好きの少年だったし、いわゆる“雷さま”の男としての色気の分る年齢ではなかった。雷蔵は、長谷川一夫の跡目を継ぐ二枚目花形役者として売り出されていたのだから、化粧も芝居も似せていたようなところがあるのだろうが、私はその長谷川一夫より千恵蔵の方が好きという無骨好みの少年だった。それゆえ、しばらくは雷蔵という映画スターに気が向かなかった。

 何しろ、『羅生門』『七人の侍』という時代劇がすでに評判を呼び、『第三の男』『イヴの総て』『ライムライト』『シェーン』などの外国映画が公開され、石原裕次郎が登場する前夜といった季節だったのだ。時代劇への期待も、単に戦前からのスターのなぞりでは通用しなくなっていたのだった。

 ところが、やがて市川雷蔵という映画スターの貌が、『新・平家物語』をきっかけに次々と変貌してゆくことに気がついた。『炎上』『若き日の信長』『薄桜記』『ぼんち』『安珍と清姫』『大菩薩峠』『忠直卿行状記』『好色一代男』『沓掛時次郎』『破戒』『斬る』『忍びの者』シリーズ『眠狂四郎』シリーズ『陸軍中野学校』シリーズ『ある殺し屋』『華岡清洲の妻』−とそれぞれまったくちがう貌を観客の前に提出していったのだ。

 映画のスーパースターは、戦前から何をやってもひとつの貌というイメージがあり、裕ちゃん、勝新もその範疇に入るが、雷蔵は例外という気がした。そう思ったのはすでに社会人になってからであり、中学時代からずいぶん長いこと雷蔵映画を見てきたものだ。ま、とりあえず雷蔵好みの資格はあるだろう。

 そして、市川雷蔵にしか似合わないあの『眠狂四郎』シリーズを見るうち、私の中で雷蔵の眠狂四郎と作家・吉行淳之介のテイストがかさなってくる。『眠狂四郎無頼控』の作者柴田錬三郎さんは、作家としても年齢的にも吉行淳之介さんの先輩だが、弟分のような感じで吉行さんと近しいつき合いをしていた。

 私は文芸誌「海」で吉行淳之介さんの担当をしていたが、だいたいにおいてチャコールグレーのスーツに黒いシャツという出立だが、これが和服の着流しのように見えたものだ。文章はいわゆる語彙が少なく、余計な文字を殺ぎ落とした文体だ。その文体で“性”の場面を書くとき、独特の硬質な色気が放たれた。おそろしく繊細な気遣いをする人だが、酒場においては悠然と“スケベ”を演じていた。

 これくらいが腰を上げる前の私にとっての市川雷蔵であったが、雷蔵と親しかった方々から話を聞き、資料を読んでその出自かた辿り直し、わが身と引きくらべたりしているうち、私は見るみるうちに脇道へ迷い込み、雷蔵まんだらの中を彷徨したあと、思いもかけぬところへ着地していたのだった。ま、細工は流々。仕上げを御覧じろ、というわけであります。

村松友視(正しくは「視」ではなく示ヘンなのですが、文字がないので)氏著「雷蔵好み」は2002年11月26日に横尾忠則氏の装丁でホーム社より発行。発売は集英社になります。2006年7月に文庫版が集英社より発行★

(集英社機関誌「青春と読書」02年10月号)