映画の裸を見る

オランダで日本映画の傑作の数々を見てきた。第二十回ロッテルダム映画祭(1月24日〜2月3日)で、森一生、川島雄三、鈴木清順の特集が行われたのである。むしろ日本においては、こんな豪華な番組に接することはない。昨年秋にも、イタリアのトリノ映画祭が1960年代日本映画を大々的に特集したので、わが青春期を彩る作品群と再会することができた。

いまでは、ちゃんと日本映画を見ようとするなら、外国へ出かけたほうがいい。二つの映画祭に出席して、わたしはつくづくそう思った。昨年、フランスのナント映画祭へ行けば、若尾文子主演の傑作群をずらりと見られたろう。

周知のように、これまでは、海外でよく知られた日本映画の監督といえば、黒澤であり溝口であり小津であり、大島や今村がそれに次いだ。いま、そうした状態が大きく変わりつつある。多様な特集上映がなされて、日本映画をめぐる既成のイメージが破られはじめたのである。

今回のロッテルダム映画祭では、オープニングで森一生の『薄桜記』が上映され、通路まで埋めつくした満員の観客が、流麗な画面のなか、市川雷蔵によって演じられる愛の惨劇を、まさに息をのんで見守っていた。エンドマークとともに湧き起こった拍手の嵐はこの大胆な作品選択の成功を熱く告げ、フランスの「カイエ・デュ・シネマ」の記者は『薄桜記』の美しさを絶賛していたというが、多数の人々が“さらにもう一つの日本映画”を発見したことはまちがいない。

明らかにこのことは、国際映画祭という場そのものと深く関わっている。なぜならそこでは、古今東西の映画が、時間性・空間を飛び越えて世界同時性において並べられ鑑賞されるからである。

今回、ロッテルダムでは、森一生、川島雄三、鈴木清順とニコラス・レイの二大特集のほか、世界三十数か国の新作が連続上映された。それらの総本数は、正確には数えていないが、ざっと三百本以上にはなろうか。文字どおり古今東西の映画が、それほど大量に十二、三か所の映画館で早朝から深夜まで上映されてゆくとなれば、当然ながら、一つのことが前提になってくる。

すなわち、それぞれの作品が、製作年代や国籍の別はもとより、あらゆるイメージ的粉飾を取り払い、裸の形において、映画としての魅惑を問われるのである。質的に世界同時性に耐えられるかどうかが問われるといいかえてもよい。

森一生監督の『薄桜記』その問いに応じられたからこそ、熱い喝采を博した。むろん『薄桜記』は日本においても知る人ぞ知る映画であり、森一生がある意味で認められていることはいうまでもないが、けっして映画史的に正当に位置づけられていず、そのイメージには粉飾がなされている。それからすれば、異国オランダでの反応のほうが、明らかに純粋さにおいて勝っていよう。

他人のことをいっているのではなく、わたし自身が今回、日本的パースペクティブにとらわれず、『薄桜記』を、川島雄三の『州崎パラダイス・赤信号』や鈴木清順の『関東無宿』を、まさしく裸の形において楽しむことができた。その内実は、ニコラス・レイ特集の一環として上映されたロバート・オルドリッチの『キッスで殺せ!』に胸を躍らせ、アキ・カウリスマキの『コントラクト・キラー』に感銘を受けたことと、まったく同次元にある。1950年代の作品であれ1990年代の作品であれ、どこの国の作品であれ、映画の魅惑は、上映された瞬間においてのみ純粋に輝き、発見されるのである。

ロッテルダムでは、二十数年前の作品もすべてニュープリントで上映されたことを、大急ぎで強調しておこう。今回ほど鮮明な画面の『薄桜記』や『関東無宿』を見たのは、いったい何年ぶりのことか。明らかにそれは映画祭ディレクターの配慮にほかならず、その心意気があってこそ、『薄桜記』が喝采を浴びたし、十七本もの作品が上映された鈴木清順は注目の的になり、連日、インタビューに追いまくられることになった。ニュープリントを用意する心意気と“さらにもう一つの日本映画”の発見とは、映画的行為として一筋につながっている。

さきほどから「発見」ということばを連発しているが、これは語の正確な意味での「発見」であって、けっして再発見でも再評価でもない。映画とは上映される瞬間の一回きりの事件であり、映画を見るとは出会い以外のなにものでもないからである。

じっさいロッテルダムの日本映画は、ニュープリントという意味ではなく、作品の質においてちゃんと新しかった。それゆえに、現在只今、世界同時性において、森一生、川島雄三、鈴木清順の作品が新しい日本映画として発見されたのである。鈴木清順の『関東無宿』上映のあと、映画館を出る観客たちが期せずして主題歌のメロディを口ずさんでいた光景は、なによりも強力にその事実を証明していよう。

映画の裸を見る。日本でも近年、このことがようやく少し実現されはじめたが、発見のまなざしのもと、さらに日本映画史が読み直されなければならない。

ちなみに、ロッテルダム映画祭では、すでに次回のプログラムとして加藤泰と三隅研次の特集を検討している。

(岩波書店発行「よむ」91年4月号より)