ただ一人の“反対者”市川雷蔵

−映画界はベトナムどころではない−

“日本映画復興会議”が、このほど監督、スター、脚本家、映画評論家、映画ジャーナリストと四百八十人に、「アメリカのベトナム侵略反対」「日本の米軍基地撤廃」のアンケートをとった。

しかし、回答は、わずか百通ほどで、「その感心度は活動屋の域を脱しない低さ」と関係者をがっくりさせた。

“反対決議”に賛成した人には、木下恵介、中村登、須川栄三などの監督組。森繁久弥、浜美枝、団令子、アチャコといったスターの名があったが、黒沢明、小林正樹、新藤兼人といった監督や三船敏郎、石原裕次郎といった“国際的映画人”の回答はゼロ。

“反対に反対”した人はわずかに二人。このうち一人は無記名で、いったいだれなのかさっぱり分らなかったが、残る一人は、映画スターの中で数少ないインテリといわれている市川雷蔵だった。

雷蔵の回答は「日本映画の復興とかけてベトナム問題と解く。こころは、さっぱり分らない」というもの。“日本映画復興会議”は映画労組、映画サークル、進歩的な芸術家の集まりだが、雷蔵の回答については「なんということだ、ふざけているし、不謹慎きわまりない」、「雷蔵はブルジョワ米帝国主義擁護なんだ」(夫人は永田大映社長の養女)と憤慨の声で大騒ぎだったという。

雷蔵は「戦争を歓迎するわけありまへんやろ。しかし、日本映画の危機は深刻でっせ。日本映画の復興を目的とした団体が、ベトナムや基地問題をいっしょにする考え方につていけまへんのや」

けだし、名答というべきか。(昭和40年)