強情な私たち
雷蔵: どうも遅くなりました。
ペギー: お久しぶり。ずいぶん前に・・・。
雷蔵: お目にかかったですね。僕ね。ふっと度忘れしてましたが、いまいわれて。
ペギー: 私も一度もお目にかかったことがない、困っちゃったなと思ったら。大分前に雷蔵さんの後援会でお会いしましたね。
雷蔵: そうでした。
ペギー: あのとき私、ものすごく急いでいたので時間がなくて・・・すれちがったという感じで、お話もできませんでした。ご活躍ほんとうにおめでとうございます。
雷蔵: いや、あなたこそ。
ペギー: 私って、仕事の上ではずいぶん強情で、わがままなんですけれど、雷蔵さんはどうですか。監督さんとぶつかることがありますか。
雷蔵: それはありますよ。僕自身、いいと思えば聞きますし、逆の意見にこうと思えば、いうこともありますよ。監督と俳優というものは、闘いですからね。場合によっては腹の立つこともありますから、ぜんぜん受けつけない顔をして、聞かないふりをするんですよ。内心ではそれでも聞いていますけれども、僕も強情ですから。
ペギー: 芸能界では強情は必要ですね。
雷蔵: 自信というものがなければ役者はできません、うぬぼれと自信はちがいますからね。映画の場合は監督の支配が大きいし、そのフンイキがある。そこに入りながら、しかも自己のペースを守る・・・つまり、和して同ぜずという、最後までいい意味でのたたかいでしょう。
ペギー: ハリウッドなんかでは、監督と俳優がぶつかって、ディスカッションすることは当たり前だそうですね。
雷蔵: 当たり前だと思いますよ。俳優はロボットとちがいますからね。いいなりに動いているというんじゃありませんからね。
ペギー: でも、それは市川雷蔵さんだからいえるんじゃありませんか。
雷蔵: 僕はカブキの馳けだしからやっていましたから、いま思えば、冷汗が出るようなことをしました。しかし、下手は下手なりに一生懸命やってましたから、その情熱を汲んでくれたんでしょうね。いまにして思えば、熱意とか情熱とかいうものは、絶対に必要だし、そういうものがすべてをナニするんでしょうね。
ペギー: シンがとおっていらっしゃるからよ。シンがとおらなかったら、監督さんにワアワアいってみても、皆ブウブウいうだけでしょう。ある意味で雷蔵さんの徳ね。
雷蔵: おや、これはどうしましょう・・・。