「新平家物語」の製作のかげにひそむ話題には、どんなものがあるのでしょうか・・・?

1.青年清盛の運命

 いつ果てるともしれない雄大な規模で、筆をおろしてより満五ヵ年以上たった今日もなお、書きつづけられている吉川英治氏の「新・平家物語」は、おそらく吉川氏自身にとって生涯の大作というばかりでなく、歴史小説としても従来のすべての歴史小説の上をゆく、まったく新しい境地をきりひらいた稀有の野心作です。

 では、この小説はどんなところが新しいのでしょうか?それには、なによりもまず、作者がたぐいまれに新鮮な角度で歴史をながめている点にあります。従って、そこには当然、まことに空虚であったかっての歴史的人物のなかに、現代の息吹がおくりこまれており、人間としての生命が与えられているわけです。まさに「新・平家物語」と「新」の字が冠せられているゆえんといえましょう。

 この小説は非常に雄渾なスケールをもって、たくさんの人物を登場させ、それらの人々をからみあわせながら、平家という武門の運命を絢爛と描きだしているわけですから、もちろん清盛だけが小説の主人公だというわけではありません。しかし、こんど大映で映画化されたものの中心人物は、やはり“青年清盛”でありますので、いきおい、映画の興味の中心は、吉川氏の描きだした青年時代の清盛が、美しく豪華な大映カラーのなかで、どのようにスクリーンに移しかえられているかに、かかってくるようです。

 従来から、私たちは歴史家やあるいはかっての国定教科書などで、長い間、清盛という人間を好色で、策謀家で、陰険きわまりない人物として教えこまれてきました。しかし吉川氏の小説に描かれた清盛は、波瀾の時代に生きた青年として、その内面的な悩みや、苦しみや、喜びや悲しみを深く秘めた人間になっております。そして、その清盛を通して私たちは感情や心理をもった人間清盛のすがたをみることができますし、また同時に私たちの祖先の運命や日本人の悲しさ、美しさをみてとることができるのです。ですから、そういう清盛のすがたが映画に再現されたら、私たちは、歴史というものを、今日の眼で、正確にふりかえってみることもできるわけです。

 多ぜいの人がこの映画にかけている期待の一つは、おそらくこの点にありますが、「雨月物語」「山椒太夫」「近松物語」「楊貴妃」などの近作のすばらしいできばえなどから推しても、溝口健二監督はきっと、美しく悲しい歴史絵巻をみごとにくりひろげてみせるに違いありません。

 溝口監督も「いつの時代にも、青年には何にも負けぬ気魄と逞しい実行力が要望されます。現代も、決してその例外ではないと思います。清盛の、強いヒューマニズムに、今日の青年層が、大きい親近感をおぼえてもらえたら、まずは成功といっていいでしょう」と、そのなみなみならぬ自信のほどを語っておりますから、私たちは大きな期待をこの作品にかけていいようです。

今日は太陽の下で、オープン・セットのクランク!