“南部坂”の扮装

お医者さんになろう

 嘉男少年は実の父母を知らない。いや、知らないというよりも、知らないことすらも意識していないのである。現に彼には関西歌舞伎の名脇役市川九団次という歴とした慈父母があるからだ。

 昭和六年八月二十九日、京都に生を受けた彼だが、その出生前後、彼の実家に起った新派悲劇にでもありそうな事件のため、生後三ヶ月目に彼の父の姉に当る人の家すなわち市川九団次方へ養子として貰われて来たという事実は、もとより嘉男少年の知るところではない。

はつの誕生日をむかえて

 幼い頃から身体の弱かった彼は、月に一週間くらいは、必ずといってよいほど、医者の世話になっていた。そのせいか、よの常の子供たちのように、医者へ行くことをいやがらない。むしろ進んで、まるで遊びに行くような喜々とした表情で医院の許へ通って行く少年だった。だから成人してからの彼にも、仕事の合間などにふっとその脳裡に浮ぶのは、大阪上本町にあったその安岡と呼ぶ医院の薬局の中へ入って、白い上っ張りを着た看護婦さんが、薬を計ったり、調合したりするのを飽きずに眺めていた幼い日の姿である。「ぼくが大きくなったら、ぼくのような身体の弱い人を助けるために、立派なお医者さんになろう。そして世の中のために大いに貢献するのだ」これが嘉男の楽しい夢である。

幼稚園の頃、大阪の家で 四才 海軍服もいさましく

 勿論、彼とても近所の子供たちを集めてチャンバラごっこに打ち興ずる時もある。彼は阪東妻三郎のファンなのである。だが、彼の望みは飽くまで医者になることであって、映画スタアになりたいなどとは思っていない。元来、芸道の家に育ち、その雰囲気の中に呼吸している嘉男なのだが、父のあとを継いで、歌舞伎俳優になることすら考えていない嘉男なのである。そして、どうやら両親もおなじような気持ちを持っているらしかった。

これが小学校へ通っている頃の竹内嘉男、すなわち市川雷蔵の少年時代の素描である。