雷蔵君に期待する

 

 

 私と雷蔵君とは、不思議な因縁があって、彼が映画界に入る前からの知り合いである。今からもう十年にもなろうか、或る夏、雷蔵君がまだ武智歌舞伎にあって、有望な若き歌舞伎俳優だったころ人を通じて会ったことがある。

 その時、雷蔵君はまだ若かったし、映画スターになれるとは、夢にも思わなかった。私は、いつもの率直さで、とても映画スターは無理ですよ、と言ったものである。

 それから何年か経って、雷蔵君は大映に入り、若手人気スターとなったが、正直なところ、その雷蔵君が、映画スターは無理ですよと言ってのけた当人だということは、全然気がつかなかった。ところが不思議なめぐり合わせで、雷蔵君が大映に入った翌々年に私が彼の主演の『浅太郎鴉』のシナリオを書いた。その打ち合わせの時、雷蔵君に突然、私を覚えていますかと言われて驚いた。その時始めて、私がその昔、映画スターは無理ですよといった本人であることを知ったわけで、市川雷蔵という、スターの素質を見破れなかったのは、比佐芳武、一生の不覚であったと、今でも冗談にいっては笑っている。とにかくそれ以来、彼は大映、私は東映と、所属は違っても、のんびり、話をしたり、呑んだり、親しくつきあっている。

 時代劇はほろびることはない、というのが私の信念である。そして、時代劇がほろびない限り、時代劇の旗手たるスターは次々と生れ、育って行かなくてはならない。かって、時代劇の草創期に於いて、故阪東妻三郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵、市川右太衛門、月形竜之介、高田浩吉などの皆さんが、殆んど同時期に出現して、時代劇映画の基礎を作った。その後、戦争の時期をはさんで、数十年経っているが、終戦後、アメリカの占領政策により時代劇が一時絶滅にひんしたことがある。今から考えると、封建主義の時代劇映画を絶滅するという占領政策は、長い時代劇の歴史にとって一つの時期を劃していたと思う。その時代がすぎ、前記の既成スターの他に多くのスターが出た。その中に、いろいろな意味で、時代劇の将来を荷うスターの中に、雷蔵君が位置しているわけである。年令的に言って錦之助、千代之介、橋蔵君などが、将来とも雷蔵君の好ライバルになるのではないかと思う。

 芸風から言って、錦之助君の迫力、橋蔵君の華美、千代之介君の質実、雷蔵君の格調ということになるが、各人それぞれの特徴によって、将来好ライバルとして、大いに活躍されることであろう。

 すでに前記の大先輩の次に、大友柳太朗君あり、あとに続くものに勝新太郎、若山富三郎君など、続々とスターは生れつつあるけれども、僕としては、雷蔵君が将来、時代劇界の大物として、後進の上に立つ人になって欲しいと思う。また、雷蔵君はそうなれる人である。僕はそれを確信している。(「時代映画」60年10月号)