−眠狂四郎のニヒリズムは本物か

 大変日本的で、虚無的であるように見えるが、根底に善意がある。まあ、ひねくれているだけですよ。日本映画の典型的な主人公のタイプですね。机竜之助は業みたいなものをもって宗教的で、次が丹下左膳、その次が眠狂四郎で、時代劇のニヒリストの中では三本指に入りますね。

 僕としてはこのシリーズを大切にしなくきゃと思ってます。これは作り方で楽しくできるのだから。時代劇の利点は現実ばなれしているところにあるのだから、野心的な映画のテクニック上の試みができる。それが視覚化ということですね。

 僕の持ち味はどちらかというと、暗いから“忍びの者シリーズ”や、その現代版みたいな“陸軍中野学校シリーズ”、そして“眠狂四郎シリーズ”のような、孤独でニヒルな性格が僕の持ち味に一番ピッタリしているのではないかと思う。俳優は誰でもいろんな役をやってみたい。しかし同時に自分でなければやれない役にもひかれるものだ。そういう意味で、狂四郎こそ最も自分にピッタリした役だと思ってます。狂四郎のマゲを赤っ茶けたものにしたのも、彼が混血であるということから僕が考えたんです。

−自分で演出してみたいと思うか

 監督はむずかしい仕事だと思うし・・・できないことはないが、自分なりの映画に託する夢を作りたいことはあるがね。

−ユニオンについてどういう考えをもっているか

 俳優協会でも二年ほど前に出て議論が出たが、そのままになっているのは、俳優という職業のむずかしさ、簡単にわりきれないものがあるからでしょう。ユニオンを作る前に、俳優がどう自分を整理しなければならないかということでしょうねえ。事務所ごとの組合じゃないんだから。

 テレビの再映問題でも宙に浮いているでしょ。協会がしっかりしていれば、協会に積み立てることができるが、それぞれ利害が相反するのでできない状態でしょ。

 錦之助君の作ったものについても、京都の地労委から「組合は認めるが、ある人について疑義がある」という意見がついていた。これは錦之助君のことなんです。彼のような高額所得者と、大部屋の俳優さんたちとが同一の資格ということは、ちょっと認められないでしょう。

 ユニオンを作るということは必要なことではあるが、自分のことを考えていたらできないですね。献身的に俳優という職業を確立するためにやる、キリスト的な人間が出てこないとできませんね。

 労働者になるということは、言葉のアヤだが、第一線で活躍する人は労働者意識はないと思うし、あlっては進歩発展がないですよ。