−“あゆみの箱”運動の是非

 本当にやるつもりなら自分でせっせとやればいい。われわれの場合、70%くらい税金に取られている。ごまかしがきかない。それに陰で暴利をむさぼっているわけじゃない。

 ほかのいろんなことをやり出すと、何かややこしくなる。まず、まあ普通につつましやかにということですね。私たちは大変上流とかいう人種とも違う。私たちの報酬たるや、お客さんの400円の入場料から還元してもらっているようなものです。その辺の考え方がはっきりしないと、おかしなことになりますね。

−何を信ずるか

 まずむずかしい問題ですね。信じて生きなきゃならないということはわかりますが、僕の信条としては、人の心というものが一番大切だと思いますね。仕事の性質上からいっても、ある意味ではよき友達であり、協力者ですね。・・・宗教はどうもあまり関心もたんなあ。

 「眠狂四郎」でも一つのテーマにしてある、ある意味では僕の考え方でもあるんだが、神が人を作ったのではなく、人が神を作っているので、それについ左右されたくないということですね。

 自分を信ずる、人の心を大切にする以外なにものもないなあ。実際社会では金とかいろいろいうけど、それだけではすまされないでしょ。

−テレビには出演しないのか

 もうテレビに出てはいけないという理屈が中途半端になってきた。旧作の再映もあって、現に僕なら僕がちゃんとテレビの画面に出とるんだから。

 テレビの中で芝居をやっちゃいけないという理由がアイマイになった。タダで見られる俳優を、わざわざ映画館に見に来ないですよ。

 僕はしいてテレビに出たいというのじゃなく、もっとテレビというものをもっとうまく活用すればいいと思う。

−やくざ映画に対する世論の風当たりが強いが

 僕の“若親分”ものでもわざと明治大正の過去の時代に素材を置いている。そのことによって僕は作り話だと思っている。リアリティーのあるものじゃないという考え方だから、あまり気にならないな。

 大体こういうものは現実性を帯びることをきらうのものだ。どうしようと、主人公がやくざである限りは、やくざ礼讃にならざるを得ない。しかし、現実には悪影響を与えかねないと思うねえ。

−好きな色

 ブルーやね。幼いころからそうでした。

−京都と東京の住み心地をくらべると

 仕事を何年間もやっているからここ(京都)がいいが、住んで生活するとなると、もう少し現代性というものを肌に感じるほうがいいように思いますな。

−いっぱいやっか

 僕はブランデーですね。まあ外で飲まず家へ帰ってやるほうです。晩酌型といいますか、家庭型ですな。

−好きな俳優は

 そうねえ。勘三郎、中車、新劇では芥川比呂志、杉村春子、映画では三國連太郎、こういう人たちが好きですね。

−スターのプロダクションが続々生れているが

 なんともいえんなあ。プロダクションというものの形が理想の形になりにくいでしょ。いろいろの条件があって・・・。いや僕は考えていません。(67年9月28日号)