対談 いいたいこといい@

外部の人と話したい

“人間”を描く時代劇に

サラリーマンタイプの背広姿で話す雷蔵

 市川雷蔵はどこかの銀行の受付で顔をあわせるか、どこかの商事会社の廊下ですれ違うような、ごく、ふつうの若いサラリーマンのようにしか見えない。およそ、時代劇俳優という感じではない。

 そういう素顔の彼と雑談をかわしていると「これからの時代劇はかわるだろう」と思う。実際、右太衛門、千恵蔵、寛寿郎、長谷川、浩吉、月形らという戦前からのベテランにつづいて、ようやく、若い世代の中からこれからの時代劇スターとして定着しそうにみえるのは、いまのところ、中村錦之助、大川橋蔵とともに、雷蔵であろう。(岡田)

 雷蔵 ボクたち京都の若い時代劇の俳優仲間でグループを作っていて、俗に「青俳」といってますが、正確にいうと、日本俳優協会関西支部の青年部なんです。月例会をひらいて、できるだけいろんな人と会って話し合う機会をもつように心がけています。今年になって、木下恵介さんが京都へこられたときも、さっそく取り囲みましたし、ごく最近では、観光団として撮影所を見学にきたソ連の監督や女優さんたちにも会いました。日ごろは、たとえば、八百屋のご主人にメロンの産地や見わけ方の話を聞くのも、けっしてムダじゃないと思っています。

ーそういうふうに外部との接触を心がけるのは、時代劇という特殊な世界にいるからなおさらでしょうね。

 雷蔵 たしかにそうです。木下さんの場合だって、直接の仕事関係でなくて、一人の監督を取り囲んで話を聞くなんてことは、おそらく現代劇の俳優仲間ではやらないことでしょう。木下さんも、ボクたち時代劇の連中の熱心なことには感心していたようです。

ーおよそ、世の中で変らないものの一つのように思われてきた時代劇も、これからは変るでしょうね。どんなふうに変ると思いますか。

 雷蔵 早い話が、ヤクザ物ひとつにしても、「浮世の風が何とやら」という式の長谷川、千恵蔵調はもういけないんじゃないですか。千恵蔵さんのかっての名作だといわれた『おしどり道中』を橋蔵君が昔どおりにやりましたが、やはり、あまり受けなかったようです。羽二重のカツラをつける時代劇は現代劇と同一にはいかないとしても、その時代の風俗の面白さをとおして、最後はやはり筋よりも人間を描くことではないでしょうか。