対談 いいたいこといいB

あくまで時代劇中心で

時には現代劇で新感覚を養う


ー昨年のあなたのはじめての現代劇『炎上』は、市川崑監督一流のひねりすぎで、作品としては不満な点があった。だが、たえず劣等感に悩まされたあげく、国宝に放火するにいたるあの作中の主人公の学生の役はよく出来ていた。

 雷蔵 こんどはまた、山崎豊子さんの「ぼんち」をやることになっています。

ーしかし、あなたはやはり時代劇俳優だという自覚はもっているでしょうね。

 雷蔵 それは、もうもちろんです。だから、ボクとしてはあくまで時代劇を中心にして、ときには現代劇もやるということです。現代劇にも出ることによって、これからの時代劇俳優としてのボクの感覚を新しくしたり、テンポを良くしたいと考えるわけです。

ーこれまで日本映画では木下・黒澤・吉村という四十代の監督が支配的だったのが、ここ二、三年前からそろそろ三十代の監督というのが、時代劇にも現われて注目されるようになってきた。気分的にいって、あなたなどは、四十代以上の監督とよりも、三十代の新人監督と組んでやる方がぴったりするのではありませんか。

 雷蔵 それは、若い者同士の方がいいですね。このあいだも、新人監督の田中徳三さんと『お嬢吉三』を撮りましたが、若いスタッフ一同がみなわいわい言って、一緒に相談しながら一本の映画を作ってゆくという気分になります。こわいもので、そういう全員の気分というものがやはり画面の中に出てくるんです。それで、今年の下半期にボクが一番期待をかけている西鶴の「西鶴一代男」を増村保造さんの監督で撮ることにきまったので喜んでいます。

ーそれは、ちょうど、東映の錦之助君が、近松の「梅川忠兵衛」を『浪華の恋の物語』という題名で内田吐夢の監督、有馬稲子の相手役で撮ることになったそうだが、それとよい対照になるわけだ。

 雷蔵 増村さんは新進監督の中でボクの好きな人ですが、ただし、このあいだの『氾濫』はどうかと思いましたね。あのような不潔な感じの愛欲描写は西鶴物には禁物です。「一代男」の主人公世之介という男はなるほどドン・ファンにはちがいないが、作品はドン・ファンぶりだけを描くのではない。丹波の鉱山主の息子で、御殿のような家に住んでいたのだが、金を湯水のように使って女遊びに明け暮れたあげく、勘当されて無一文で旅に出る。はじめて無一文になって女と恋をしたとき、相手の女を幸せにすることによって自分も幸せになれることを悟り、さらに晩年には色恋ぬきの境地に達し、最後には女護ケ島へ出港する。当時の幕府の経済政策を背景としながら金と恋とのからみあいの中で世之介が人間的に成長してゆく姿をねらいたいと思っています。(この記事のみ昭和34年6月11日の記載あり)