対談 いいたいこといいC

なによりほしい いいストーリー


ー長谷川一夫や千恵蔵が今から三十年前に時代劇俳優として出発して、今日の位置を占めたのだが、今日の若手俳優が、たとえ長谷川一夫と同じ努力を積み重ねていったとしても、五年、十年先には、映画や、その中の時代劇というものの社会における比重が変ってくることを考えなくてはならない。

 雷蔵 ボク自身人から「長谷川をつぐ」とか、「長谷川に代る」ものだといわれるのですが、これからの時代劇の変化とあわせてよく考えてみなければならない点だと思っています。伊藤大輔さんや長谷川さんのような先輩たちが製作に入るに先だって、役柄や演出の準備に大へんな情熱でかかられる態度などは本当に教えられます。だけど、たとえば、長谷川さんの得意な流し目といったものは、これは、長谷川さん個人のもので、まねようたって、まねられるものではない。だから、うわべではなく、その中身を取るべきなんでしょう。

ー時代劇を語るのに東映をぬきには出来ない。いわゆる東映時代劇をどう見ますか。

 雷蔵 まず何よりも、東映の忙しさには顔まけですね。夜、仕事を終わって鳴滝の自宅へ帰る途中、暗がりの中にこうこうとライトをつけて大勢の人ががやがやと集まっている。なんだろうと思ってよく見ると、これが東映の連中なんです。ステージがみな詰っているんで日が暮れるとオープン(屋外)をステージがわりにして撮影をつづけているわけです。なんしろ、東映の京都撮影所では毎月、本番の時代劇を八本、テレビ映画を四本ずつ作っているのだから大へんです。俳優部屋はセリ市のような騒ぎだそうですが・・・だけど、娯楽性やサービス精神に徹している点には感心します。

ーたしかに、娯楽に徹底しようとするところはある。松竹や大映などはすぐテレてしまうが、東映はテレないからね。

 雷蔵 時代劇俳優としては、東映のような気分の中で、いちど思いきりあばれてみたいと思いますよ。そういう意味では日ごろケンカ友だちの錦之助君がうらやましいね。

ーしかし、東映調時代劇は圧倒的な量産ではあっても、その中からあまり新しいものは出ていない。

 雷蔵 新しい感じのものはありませんね。だから錦之助君には、ボクとは反対の悩みがあるかもしれない。

ー時代劇の製作でいま、一番何がたりないと思いますか。

 雷蔵 ストーリーです。いいストーリーがほしい。シナリオ作家協会には百五十人以上の会員があっても、たとえば、うち(大映)の時代劇を書いている常連は三、四人くらいなんですから、たまりません。何より有能な新人のライターさんがほしい。