『新平家物語』の清冽、『月形半平太』の颯爽、『薄桜記』の哀切、『ぼんち』の洒脱、『歌行燈』の色気、『斬る』の気魄、『眠狂四郎』の虚無、『ある殺し屋』の孤独・・・様々なイメージをスクリーンに定着させた市川雷蔵が37歳で夭折(1969年7月17日午前8時20分)して21年。

 しかし、時間の流れに逆らうかのように、雷蔵追慕の声は高まるばかりだ。いったい、誰がどんな思いで過去のスターの幻影を追い求めているのだろうか。スターらしい華やぎと市井人の堅実をあわせ持った市川雷蔵の魅力とは・・・。

 

 

 

キネマ旬報90年12月上旬号より

 

まれなるスターの再評価

 最初たまたま観ることになった五本の作品は、雷蔵のくもらぬ目によって限りないロマンを伝えていた。ことに、雷蔵、新藤兼人(脚本)、三隅研次(監督)の三人によって作られた『斬る』は、張りつめるような美しさをたたえていた。

 SFXを駆使した最近の映画にいささか退屈していた私は、雷蔵によって、映画を観る歓びを取り戻した。たまたま九州に出かけた折、旧知の森園照夫大洋劇場支配人と中洲の小さな餃子屋でそんな話をしたことがあった。すると、なんと!「それならウチの劇場でも雷蔵の映画を上映しましょう。作品を選んでください」と、たった一夜の会話から福岡での雷蔵作品の上映が決ってしまった。ここで改めて森園支配人に深謝、である。

 しかし、雷蔵の映画が各所で上映され、そのたびにクチコミも手伝って観客を増やしているとはいえ、それでもまだまだ一部の観客であるに過ぎない。これまで雷蔵は一度として“まれなるスターとして”その俳優の資質、価値を正当に評価されたことがあっただろうか。追悼の念からではなく、死後もこのように長く“生き続けている”雷蔵を一度は正当に評価してクローズアップしてみたい。それは、ファン気質を超えた映画に携わる者の当然の願いだ。

 「雷蔵の本を出したい」。私はそんなことを口走るようになっていた。ドキュメントもすばらしいし、大映京都のガラス版のスチールは展覧会にも耐える - 雷蔵の映画をともに観続けている者たちの願いは、雷蔵に一度は正当な光を当てたいという思いに貫かれていた。

 想いは激しければ通ずるのは真実だと思ったのは、友人吉村氏の取りはからいからこの思いがサンデー毎日別冊編集長の酒井氏に届いて、まったく思いもかけず雷蔵の本がサンデー毎日別冊の豪華本として出版されることになった時である。発売は十一月下旬。作業はほとんど終わりに近づいたが、雷蔵の写真を見、ゆかりの人に会い、往時の雷蔵の言葉や周辺の人の談話を読み、雷蔵が宿命としての俳優をいかに受け入れていったか、映画よりも映画的な奇跡のこの物語がいくぶんかは再現されたと思っている。昨年六月のあの時、もし友人の「雷蔵を観てください」という助言がなければ、私は映画の大いなる歓びを一つ失っていたことになる。

 (毎日新聞社 1990.12.1 発行)

*和久本みさ子さんは、乳がんのため2010年11月7日逝去されました。享年71。現在、息子さんが - 突撃レポーターRaizo. Wがいく- としてご活躍中です。http://www.ecolusso.jp/top.html のエンタメNEWSをクリックしてみてください。