- 出演作品のすべてを語る -

昭和34(1959)年

 さて三十四年は柴田錬三郎原作の『遊太郎巷談』で始まったわけです。この作品のポイントが、さし絵的な人間像のスチールを作ることにもあったわけで、映画の上でも、こういった美化された、型を狙ったわけです。幸いこのスタイルは好評で、今だにこのブロマイドは売れているようです。『人肌牡丹』は、前作の『人肌孔雀』の好評によって作られた続篇ですが、ヒット作のあとの作品は、前作以上の配慮がいるという教訓を残しただけというような作品でした。

 『蛇姫様』僕が大変にやりたかったストーリーで、川口(松太郎)さんの作品で僕に出来るものというわけで、これを選んだわけです。何故やりたかったかというと、それまで、僕の役柄は武士が多かったので、町人の、ツヤものというか、世話ものをやりたかったわけで、このあたりから、僕のやりたいと云ったものが企画にのるようになったわけです。またこの作品で共演したのは嵯峨君ですが、長かった嵯峨君とのコンビの最後の作品です。

 『若き日の信長』は、大仏次郎の原作で、菊五郎が初演した舞台劇なんで、シナリオも多分に舞台劇的なところがありました。で、僕もそれを意識して、古典劇というか、シェークスピアの芝居を演ずるような意識でやったわけです。『お嬢吉三』、始めて田中徳三監督と組んだ作品で、この吉三は、今までのものとは違った現代的な吉三を描いたもので、演出、ストーリーは一風変ったものでした。

 『王者の剣』これはオールスター作品ですが、オールスターものの悲哀をかこった作品といいましょうか。僕はシャム人でまことに我ながら情けない恰好で出ました。時代考証に忠実なのも結構だけど、おしめのようなものを前にぶらさげて出されては、全くどうかと思います。ま、会社の営利主義に泣かされた作品でした。『次郎長富士』は、大映が大作一本立に踏みきったときの第一作で、オールスターもの。僕は吉良の仁吉になったけど、仁吉は二度目。同じ役を二度やったのはこれが始めてです。

 『千羽鶴秘帖』これは、前の遊太郎巷談のようにスタイルにこった作品、特に着物のアイデアをこらした外は、別にどうということのない作品でした。『ジャン有馬の襲撃』は海洋劇の限界を示した作品。作品を仕上げるのに、日数も金もかけないという、悪い日本映画の常識では無理もないことです。金をかけていないから、海洋劇の爽快さがちっともない。それにこの作品撮影に入った最初の一日だけ、色彩でとって後で白黒になったが、こういうことはスタッフの士気を喪失させます。いかんことだと思います。『かげろう絵図』江戸城のセットが大変豪華立派で、一言で言えば美術品展示会のような映画で、僕もさしずめ、展示品の一つであったというわけです。

 『薄桜記』五味康祐原作で、僕としては最初のニヒルな役で、内心しんぱいしながらやったが、そこそこにやれたと思っている。そしてこの片腕の丹下典膳の役をそこそこながらやれたことが、今の大菩薩峠の机竜之助になったわけです。

 『濡れ髪三度笠』これで、田中監督と私、本郷功次郎君とのコンビが出来て、一つのスタイルをハッキリ打出した作品です。これは主人公のしゃべること、考えることは現代人と同じで、今までのやくざの中に、人間味をもたらしたことが、現代的な親しみを出し、成功した原因だと思います。田中監督のセンスある演出力の力も、勿論あずかっているんですが。『浮かれ三度笠』前作の濡れ髪が好評なのに続けたシリー第二作ですが、ま、過不足なく行けたと思います。が、主役が巻物になって前作ほどの人間的な面白味がたりなかったと思います。出演作品十三本に及んだ三十四年もこれで無事に済んだわけです。

 

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