市川雷蔵のもう一つの特色は、「忍びの者」(6本)、「眠狂四郎」(12本)、「若親分」(8本)、「陸軍中野学校」(5本)、「ある殺し屋」(2本)と五つの全く性格の異なるシリーズを持っているほかに、“王朝もの”(『朱雀門』『新源氏物語』など)、“歌舞伎アダプトもの”(『弁天小僧』『お嬢吉三』など)、“美剣士もの”(『桃太郎侍』や濡れ髪シリーズなどの新時代劇)、“股旅もの”(『弥太郎笠』などの正調のものから『旅は気まぐれ風まかせ』などのコミックものまで)、さらには格調高い文芸大作(『炎上』『破戒』など)といったように、役柄のはばがおそるべき拡がりをもっていることであろう。とうてい一人の役者が演じわけたとは思えないほどである。

私の好みからいえば、喜劇的なものも捨てがたいが、悲劇的な役どころ、それも硬質の時代劇に描かれる悲運の大名にたまらない魅力を感じる。『若き日の信長』『忠直卿行状記』などである。それは例えば『忠臣蔵』のごときオールスター映画でも、浅野内匠頭がずばぬけて光彩を放って見えるわけである。

なぜ悲劇的な役どころで光るのか。理由は簡単である。目が悲しみや怒りを千万言費やすより切々と訴えかけるのだ。

撮影所内の雷蔵は、ゆかたがけで素足に下駄というのがおきまりのスタイルで、猫背ぎみの上半身をやや前のめりにして、ふわふわと宙に浮くようにして歩いていた。

また、街に出るときの雷蔵は、度の強い眼鏡をかけて地味なスーツに身を固めると、どうひいき目に見ても銀行員か商社マンといった趣きで、その正体を見破られたためしがなかった。

たとえば、酒を飲む席で、たまたま映画通のホステスがいて「こちら、雷蔵さんに似ていらっしゃるわ」などといおうものなら、うてばひびくような調子で「その雷蔵というのは何者ですか」ととぼけてみせた。“雷蔵に似た男”を演じきるのが楽しくてしかたがないといった様子であった。

雷蔵の後期の代表作“眠狂四郎シリーズ”を見て、原作者の柴田錬三郎氏は「市川雷蔵にまさる狂四郎はない」といったが、あのどこかとぼけてユーモラスで、陽気で気のいい毒舌家のどこに、徹底して虚無的な狂四郎と共通する要素があるのか、私には不思議でならない。ある人は、生後わずか6ケ月で生母の手を離れ、二度も養子縁組を重ねて、ついに肉親の愛を知らなかった彼の生い立ちに、潜在的な虚無感を見出そうとするかもしれない。しかし私は、狂四郎とても、他の百数十本の作品の人物と同様に、雷蔵がスクリーンに放射した計算づくの“光”であったと信じている。

ある俳優の虚像と実像、光と影のコントラストが際立っていればいるほど、その俳優は演技に花があるといわれる。その意味で、市川雷蔵こそは、映画・演劇を通じて、他に類をみない華麗な花を持った役者であったといえる。

映画俳優は一代かぎり。養父とはいえ、絶品といわれた故市川寿海ばりの美しい口跡をうけつぎ、あのメリハリのきいた格調高い名演技で、スクリーンに絢爛たる花を咲かせた雷蔵の芸は、ついに他人に伝承されることもなく消えてしまった。

いまとなっては、153本の遺産を大切に保存することをのぞむばかりだが、それにつけても、消えてしまった花の美しさと、37歳という若さが惜しまれる。
(「ウィークエンドスーパー」77年11月号より)