映画の居酒屋を歩く

 日本映画には居酒屋がよく出てくる。居酒屋好きの私はその場面になると身をのり出し中へとびこみたくなる。映画の中の居酒屋で一杯やってみたい。私はわずかの金を握りしめ夜の東京銀幕へ迷い出た。

 居酒屋で酒を飲む姿が最もキマる俳優といえば市川雷蔵だ。とりわけ眠狂四郎。背すじをあくまでぴんと伸ばし中指と親指で大ぶりの白磁の盃をはさみ、ゆっくりと口に持ってゆき親指の脇からそのまま後ろへ背を倒すようにツィーと飲む。猫背で盃に口をつき出す貧乏くさい飲み方とは違い、あくまで端然とした姿を崩さない。私もひそかに真似ている。

 ここ根岸の「鍵屋」は創業安政年間の酒屋で立ち飲みもやっていたというから、近くの吉原裏、投げ込み寺の浄閑寺を住処とする眠狂四郎も立ち寄ったとおおいに考えられる。この際コマカイ時代考証は無視。映画はフィクションだ。


 表通りから一歩入ると小体な二階建て一軒家がぽつりと立ち、「酒 鍵屋」ののれんが下がるガラリ戸を開ければそこはまさに江戸の居酒屋だ。酒は柄つきの一升枡で律儀に計られ古風な銅の燗付器で温められる。小さな板の品書には、煮奴、大根おろし、かまぼこなどの渋い肴が並ぶ。

 狂四郎の注文の仕方はいつも「酒 肴はみつくろって」。私もそれでゆくつもりだったがちょっと恥ずかしく「酒に、くりから焼と冷奴。あ、それとタタミイワシもね」と格好悪かった。酒は「櫻正宗」。

 「正宗」の銘をはじめて用いたこの灘の酒蔵は享保二年の創業だ。名刀正宗の冴え、にあやかってつけたこの名は人気となり全国にいろんな○○正宗を生んだ。狂四郎も櫻正宗を好んだだろうか。狂四郎の腰のものはご存知「無想正宗」。剣は円月殺法。妖刀が地からゆっくり円を描きはじめると、その円環を最後まで見届けた者はいないという。

 シリーズ中屈指の傑作『眠狂四郎無頼剣』(昭和四十一年・三隅研次監督)では大江戸を火の海にせんとする義賊・愛染(天知茂・この人も酒の飲み方がうまい。但し暗い)と狂四郎が、燃え上がる江戸の町と鳴りわたる半鐘を背に大屋根の上で対決する。私は一人、盃を傾ける狂四郎に近寄った。

「へっへへ、センセイあっしは黄表紙に戯れ文を書く太田屋和兵衛と申しやす。ま、一献」
「・・・・理由もなく酒をすすめる輩は腹に何かあると決まっておる」
「そ、そうおっしゃられちゃあ」
「・・・・まあよい、注げ。何か用か」
「へい、ひとつあっしの筆でセンセイの好きな酒をうかがいたいと思いやして・・・」
「・・・・酒は気狂い水。飲む人間で薬にもなれば毒にもなる。オレのような・・・」

 おっとと。私は妄想にふけり一人で会話していた。狂四郎シリーズの魅力の一つが朗々たる口跡で吐くニヒルな名台詞。頼まれもしない『眠狂四郎酔生剣』のシナリオ創作から我に返った。

 江戸の居酒屋の雰囲気を残すこの鍵屋は、以前は場所が鍵屋横丁といいこの名になったそうだ。その当時安政の建物は今、都立小金井公園の「江戸東京博物館たてもの園」に保存されている。もう少し居たいが狂四郎は長尻はしない。私もぼちぼちみこしをあげよう。(角川書店刊太田和彦「シネマ大吟醸」より)

井上萬二作・白磁 「盃」

(時々、この盃を傾けながら狂四郎を見る・みわ)