映画出演の時間待ち

 まだ梅雨の明けきらぬころに撮影に入り、秋も身近に感ずる時分になってやっと完了した『新・平家物語』は私にとって一生忘れられない仕事になりそうである。実をいうと、清盛の役がふられて来たことについては多分にタナボタ的な所があり、私自身もびっくりしたことである。初めのうちは半ば気おくれがしたが、そのうち新聞や雑誌に色々と配役について記事が出たし、「金的を射た」「一世一代」などと書かれると逆に反発したくなった。

 何が一世一代だ。まるで年とった俳優が演るみたいな事を書いてと思った。また「金的」というけれど、私は単に運がよいだけの大役がホントに偶然に当ったのではないかと思っている。成程昨年八月に映画入りし、この『新・平家物語』まで約一年の間に十一本の映画に出演したが、批評家の方にどうといってほめて頂けるような作品はなかった。然し、やはり乏しいながらもこの一年間に得た経験と、その期間に観客の方々から頂いた御支援が無かったら、この大役は恐らく私にはこなかったと思う。歌舞伎には十六の時から入ったので、歌舞伎に居た八年程はほとんど芝居らしいこともさせてもらえなかった。例の武智氏のいわゆる武智歌舞伎に加入した期間は本当に勉強になった。

 今日『新・平家物語』に出演してみると、あの武智歌舞伎のホンのわずかの修業が、大いに自分を勇気づけてくれる。もし、ダラダラと映画に入るまでを何の勉強もせずにいたら、とても溝口監督について行けなかったと思う。

 「うるさい」凝り性だと定評のある方だが、私は鈍感なせいか少しもそうは感じなかった。毎日仕事をしていると必ず身につく事が一つや二つはあった。例えばある時、「映画俳優は時間待ちの間や、カットとカットの待ち時間を演技の工夫のため大いに利用すべきだ」といわれた。

 分かりきったことなのだが、それがついおろそかになってしまう。歌舞伎から映画入りすると特に待ち時間が舞台と違って長くてやりきれない。つい、共演の人やスタッフの人たちと雑談してしまったりする。「待っている時間が身上だ」という。溝口先生の「待つ間」とこれでは月とスッポンだ。「待つ間」に対する心構え如何が、自分の演技を成長させ、また映画俳優としての運命を決定するのだと思う。

(東京新聞一人一語より)