女性観と結婚観

 結婚の相手はともかく、雷蔵はつねづね、理想の女性についてこう語っている。

 

 「丸顔で純日本的な女性がいいですね。内気で思っていることの半分も言えない、しとやかなお嬢さん、それでいて好きな男のためなら親の反対を押し切って手ナベさげてもという情熱家、こんな人もいいですね。でもね、そりゃボクの主観であって、万人がいいというわけじゃない。けれど、とにかく、そんなお嬢さんは亭主を幸福にしますよ。
 でもね、若くて美しくて優しくてエレガントで、近代的でチャーミングで健康でスタイルがよくって、頭がキレて、それでいてちょっとも利口ぶらない、社交性があると同時に料理が上手で、趣味の豊かな女性−というふうに理想的な条件はいくらあげても、それ自体はなんの意味もないでしょう。
 だって、ボクがひとりの女性に強くひかれるとしたら、それはその女性の長所といっしょに欠点にもひかれるんだから・・・。 というより、その女性から発散する不思議な魅力のとりこになるわけですからね。
 だから、自分はこういうタイプの女性が好きだ。というようなことを決めずに白紙でつき合って、いつのまにかひかれていく女性が理想的な素晴らしい女性だな。
 そういう意味では、はじめに言った純日本的で丸顔の女性という答えは、インタビュー用の答えなんですよ。」

 また、結婚についての意見はこうだ。

 

 「人間は、愛するほうが幸福か、愛されるほうが幸福か、ということをよく議論するでしょう。ボクはやはり愛し愛されるのが理想だと思いますね。愛するだけ、愛されるだけでは、愛情のほんとうの姿からは遠いです。もちろん、愛することは手間がかかるし、忍耐力のいる仕事ですがね。
 愛するということにも二つの行き方があります。一つは自分に相手を同化させること。もう一つは、自分のもっているもののうち、相手に同化させるものは同化させて、融合的生活を作る方法。ボクは後のほうをとりたいですな。なんでも、自分のほうに引き寄せるというのは独断的で、長い一生を過すんだから、お互いの力で生活を築いて行くようにしなければダメでしょう。
 つまり、結婚は精神的にも肉体的にも、仕事と同じくらいのエネルギーが必要なんですね。ところで、現実のボクは仕事に追いまくられていて、仕事と同じ量のエネルギーを結婚に注ぐことが不可能なんです」

 だがこの意見も、ハワイでの一週間の収穫の結果は、どんな解答を出さぬともかぎらない。期待のもてるハワイ旅行だ。