かくれたエピソード

森本 勉強と云ったって、手振身振りは一切しませんよ。家へ帰ったら、部屋に閉じこもって、本を持ってじいっと考えているだけ・・・。だから夜晩く帰って来ても翌朝私が起しに行くと、枕もとに必ず台本がおいてある。歌も習っているが、その先生がいっておった「雷ちゃんの歌は一度もきいていません」耳で学ぶだけなんだ。

西地 それでいて、この前のパーティなど、突然マイクの前でジャズを歌いだす、堂々とね、あの隠し芸には驚いたね。

徳田 彼の芝居の秘訣というのはやっぱしそのあたりにあるのじゃないかと思うな。人の目に見えないところで過度の努力をしているということね。僕らはたえず接しておるからその片鱗を見るわけや。

福山 今までに一番困ったというか不安がっていたのは何と云っても『新平家物語』でしたろうな。

森本 あれではずいぶん苦労していられる。撮影に入る扮装テストの時も、坐ったら地につかえるところは破れないようにしなけりゃならぬ。といって、軽石でこすったり、皆がスリッパを履いて通る俳優部の埃っぽい廊下を、引きずり引きずり古くさくしてみたり、そして襟は野球のグローブに塗る油を塗って汚れを出したりしてね。あれこれ工夫したのはいいけれど、溝口監督に、「胸の肉が足りない」とか「肩に肉が足りない」とか「ギリシャの彫刻のような(笑)肉体をしてなければだめやないか」と叱られて、シャツをずいぶん買うてそれにスポンジを入れたり、真綿を入れたりね、あらゆるのをこしらえて着て監督の前に立っても、NGばかり出されてね。最後には僕の方が短気になって「面倒くさい裸で行こう」といって・・・そしたら「なかなかいいじゃないか、雷ちゃん」と監督はニコニコだった。体ばかりギリシャ彫刻型になったって、顔の痩せたのはどうにもゴマカせない。その不調和が監督のイメージをこわしていたんだな。それにしてもいままで何日苦労して綿入れたり何したのがわけがわからぬ。(笑)

徳田 まああれが雷さんのいわゆる役者として飛躍する一つのステップだったわけやな。

福山 そう、段階だった。

森本 また『大阪物語』の番頭の衣裳ね、寝間着なんか毎日家へ帰って家で着ていたんですよ。古く見せようと思って、ところが物のいい木綿は、なかなかクシャクシャにならぬ。(笑) 木綿のゴツゴツを着て寝たら風邪を引きますよ。布団の下へ敷いて寝たりしてね。うちの犬が、御主人があんな着物を着て帰って来たので間違うて吠えて、犬が怒られたこともあるのです。(笑)

徳田 僕は『大阪物語』は地味な映画だったが、必ず成功すると信じていた。

森本 そう僕も安心していた。ただ興行的に当るかどうかが心配だった。

徳田 それで、僕がつくづく感心したことがある。雷ちゃんが独立プロの映画に出たつもりで、とにかく各試写会に挨拶して廻るといって、自前で東京に行きよった。一日に三つぐらい試写会場を廻って挨拶して、その後座談会へ出て、「ともかく一人でも多くの人に見てもらいたい」と、宣伝の第一線にまでのりだしての、懸命ぶりだった。

西地 ともかく、からだを大事にして勉強はしていますね。