午前二時の夕食 のめぬ盃も受ける

 当時雷蔵さんは『桃太郎侍』という映画に、兄とその弟の二役で主演しており、見せ場はこの兄弟が同じ画面に登場することで、これをダブル・ロールという撮影技術を使って撮影するわけです。ダブル・ロールは緻密な仕事で時間がかかる、その上雷蔵さんにしてみれば二人分出演するわけで兄は殿様、弟は浪人。だからカツラから衣装、顔のつくりまで場面が変ると全部とりかえねばなりません。くたくたに疲れて撮影所の門を出たのが十月三十一日の朝三時半でした。

 だが、それから雷蔵さんは舞台挨拶のため仙台へ急がねばなりません。旅支度もあわただしく伊丹飛行場へ、朝一番の日航機で東京へ、さらに常磐線で仙台へ。

 仙台での舞台挨拶は十一月一日、二日の二日間でしたが、一日三回の出演で、挨拶といっても踊りや歌を歌わねばなりません。ところが一日の夜、舞台が終るとお座敷がかかった。土地のひいき筋の御招待でもちろん酒の席。雷蔵さんはほとんどアルコールはいけないのですが厚意は喜んで受け、結局夕食にありついたのが午前二時、そのころになると、もうお寿司しかない。ようやく一人になれた雷蔵さんはそれから宿に戻り、京都以来の眠りをむさぼったのでした。

 二日の夜は休めると思ったところ、土地の大学の演劇研究グループが話をききに訪ねてきたりしてつぶれ、三日の朝日ペリ機で東京へ。まっすぐ京都へ帰るはずが、若尾文子さんの誕生日にまねかれてお祝いをし、京都へ帰りつくと、待ちかねていた撮影所でまた一人二役の出演。「あの一週間はくたびれた」でも「ぼくはいそがしくなくちゃ困るよ」という雷蔵さんです。

仙台への旅