まず忙しくて映画も観られないという話
「さて、お三方、同じ京都にいらしても、仲々、お顔があわないのでしょう?」というと
「そうですね。全く忙しくて映画を観るひまもない」と雷蔵さんがこぼす。
「仲々、観られないね。とにかく毎日づつ観てもダメですよ。製作本数が一週に八本だもの・・・」と高田さんはいいことをおっしゃる。全く封切に追いつく時間がないわけだ。
「しかし、僕は観ましたよ。雷蔵君の“新平家”・・・大熱演ですね・・・」という高田さんに、雷蔵さんはペコリ「アリガト」と頭を下げる。
「あれは溝口さんでしょう?監督・・・。いい人ですね。あの人は、自分で発見できないものを引出してくれる・・・。あの人は、いったん、役者に自由に演技さして、その上で演技をつける人ですね」
「それだけ、若い僕たちにはむずかしいんですが、しかし、非常に勉強になりました」と雷さまの雷蔵さんは素直だ。
「雷蔵さん、入所以来、何本、お出になった?」と僕。
「そう、十八本です。一年半の間に・・・。と、ひと月に一本か・・・」と自分ながら呆れ顔。
「千代之介さんは何年?」
「足かけ三年、丸二年です」
「そこで、雷蔵さんの場合、もう歌舞伎への出戻り・・・ってことはないんでしょ?」
「まあね・・・」とそれに高田さんが
「今は、歌舞伎の人も映画を認めていますし、向上してるから・・・。昔はね、何しろ、活動役者ですよ。ひどいものでした」
と、それに雷蔵さんが
「そうそう、映画の人をつかまえて、歌舞伎の人はいってました、『ああ、土の上で芝居しとる・・・』 ・・・土の上ですよ。昔はひどかったんですね。」
お互いに、ちょっとしんみりしてそのあと、高田さんが
「千代之介君、“狂える名君”やってるでしょう?あれはいい芝居だ・・・」
「ええ・・・」
「長谷川一夫さんが林長二郎時代にいっぺんやったですね」
「ええ・・・」
千代之介さんは、元来が無口なのか、端麗な口元をひきしめて黙りっぽい。
台本なしのチャンバラ劇談
「さて、高田さん、この辺で、ひとつ、昔のチャンバラ談義を願えませんか?」と、酒をすすめると
「今のね、千代ちゃんや雷蔵君など、チャンスにも恵まれ勿論下地もできていての話だが非常にいい条件のもとにやっていますでしょう?ところが昔はね・・・ひどかった。僕はね、十六の時にこの世界に入ったのですよ。研究生といっていたですよ。ところが、僕も、比較的チャンスにめぐまれ、三年目の十九歳の時に『一本とらしてやる』とそういわれた。当時としては、何かバックかひきでもなければ不可能に近い、抜擢なんですね」
と高田さんの話が続き出す・・・
「そこで、監督は井上金太郎さん・・・上からの命令で五日間・・・五日間ですよ・・・でやってくれ・・・とこうなんです。セットもできてる。衣裳や頭は、そのままでいい・・・というんです。衣装合わせ、かつら合せ、時代考証なんて全然なしですよ。脚本もない。さて、セットに入っても、何が何だかさっぱり判らない。筋を知ってるのはカントクさんだけですよ。『いいかね、ヨーイ、ハイ・・・』でカメラがまわる。それから、五日間、ひる夜、ひる夜、二十四時間フル撮影ですよ。僕も若いからやりましたね。当時は、ライトも、カーボンという、あの、ジジーと燃える炭の棒ですよ。あいつのほこりで、顔が真っ黒になる。粉末が眼に入って涙がこぼれる。忘れもしませんが、その中で、恩人が斬られて泣くシーンがあるんですよ。ところが、徹夜々々、カーボンとレフ攻めで、眼はショボつくし、水っぱなが出る。顔があげられないんですね。が、とにかく、五日間に、その、僕の最初の作品ができ上った。半分は立廻りですよ。チャンバラですよ。題名は“仇討やぶれかぶれ”今から思うと嘘のようですよ。脚本がなくても、役者が筋を知らなくても出来た。トーキー以前ですからね」
それを聞いていた千代之介さん
「しかし、せりふは、しゃべるにはしゃべるのでしょう?」
「何とかかんとかね。その場で教えられるのだが、忘れて『このバカバカ』とやって、口を動かしとればいい。サイレント時代ですから、一カット毎にタイトルが入るのですからね。ですからね、昔の役者は、マの芝居がうまいでしょう?」
それに雷蔵さんが答えて
「そうですね。今のは、せりふからせりふへ・・・ですからね」
「そのね、今になって、昔の演技力を十二分に、つまり、マの芝居を十分にやって生かしているのが長谷川一夫さんですよ」
そこで、僕が、ちょっと乗り出して
「その頃の、映画俳優の世界はうるさかったのですね・・・階級制があったでしょう?」
というと
「そうですよ。上からいうち、大幹部、幹部、準幹部、準幹部待遇、大部屋、大部屋待遇そして研究生が一番下かな・・・。その頃研究生の月給が五円、大部屋になって十五円でしたかね・・・。」
そんな話をきいていて、雷蔵さん
「夢の世界ですよ。僕はサイレントも観たことがない・・・」
千代之介さんは、ちょっと年上のせいか
「僕は観たような気もするな・・・」
とにかく古い話だ。
雷蔵さん曰く
「僕は昭和六年の生まれだもの・・・」
五升酒の千代之介さん
さて、お膳の上を見ると“ちもと”の料理場が、腕によりをかけた料理の数々。わけてたき合せの“治部鍋”には、合鴨と豆腐にゆば・・・と京らしい色と味である。
「この中では一番年少の雷蔵さんあなたは好ききらいが激しいでしょう?」ときくと
「はア、鰯が大きらい・・・子供かな?味覚の方では・・・」
全く、まだ子供ですよ。と、高田さんも
「僕は、好きなのが玉子・・・。よくやっぱり、まだ子供だよと、僕もいわれるよ」
若さの点で、雷蔵さんに張りあおうというのかしら・・・。気の若い高田さんだ。顔の色艶のいいことよ・・・だ。
そこで
「高田さん、その若い処で、ここらで、ちょいと、恋愛話でも如何です?」
と誘いの水をむけたが
「いやダメ、ダメですよ。恋愛してたんじゃ仕事がダメになりますよ。あのね、時代劇というヤツは、だいたいが男が主人公で、出づつぱりでしょう?とてもとても、恋だの、愛だの・・・のひまもないですよ」
「じゃア、方向転換、趣味といきますかな?千代之介さんの御趣味は?」
「のむ・・・ぐらいですね」
「どのくらい?五・六本?」と僕がいうと
「その一本は一升瓶のこと?千代之介さんののんべえは底なしですよ」と雷蔵さんが説明して
「とにかく、東映酒天童子の三羽烏ですよ・・・千代之介、錦之助、伏見扇太郎・・・この三人・・・」
「じゃ、この席でのむなんて、ほんのシズクですな。で、そうおっしゃる雷蔵さんは?」
「僕?僕は、まだ趣味まで手がまわらない。それより、千代ちゃん馬どうした?」
と千代之介さんの方を向いて
「この人はね、馬を買って、淀の競馬に出すそうですよ」
それをきいて千代之介さん
「と、とんでもない。いや、そのね、時代劇には、どうしても馬がくっつくでしょう?現代劇の場合の自動車のようなものですからね。それで、馬をかってけいこしている・・・それだけなんですよ」