雷蔵−その作品と系譜

今年の一月十六日、東條会館で「市川雷蔵を偲ぶ会」が催され、熱心なファンの方で会場は満員だった。「弁天小僧」「新源氏物語」が上映され、ありし日の雷蔵の颯爽たる姿に、拍手と溜息が会場に溢れた。その合間私は石川篤代さんに依頼されて、雷蔵の思い出を30分ほど話した。

語るには想い出が多すぎるし、愛惜の念がこみ上げて、とてもつらかった。同じ日の同じ頃、ブルー・リボン賞の選考委員会が開かれていることを私は知っていた。私が昨年製作した「大地の子守歌」が、その俎上に乗っている筈で、朝から不安と期待が交錯していた。が雷蔵の話をしている中に、私はその事を忘れていた。

翌日、「大地の子守歌」が、日本映画最高作品賞に選ばれた旨の報せを受けた時、私は思わずハッとした。小っぽけなプロダクションのささやかな作品に最高の栄誉が与えられたことが、とても嬉しかった。もしかして、これは雷蔵さんが力を貸してくれたのではなかろうか、私にはそうとしか考えられなかった。

数日後、大阪の映画ファン祭でも「大地の子守歌」は最高作品賞を頂き、私は受賞の喜びを舞台から述べさせてもらった。「雷蔵さんゆかりの地大阪のファンの皆様から賞を頂けたことを嬉しく思っています。もし、雷蔵さんが生きていたら、私は雷蔵さんと組んで映画を作っていたでしょう。<大地の子守歌>も雷蔵さんと一緒にプロデュースしていたでしょう・・・」と。

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市川雷蔵は、昭和二十九年、歌舞伎から映画(大映)に転じた。「花の白虎隊」がデビュー作である。この作品は、長唄の世界から転身した勝新太郎の第一回作品でもあった。

その年の秋、東京会館で大映の館主会が盛大に行われた。その日、私が乗った会場のエレベーターに、慌しく馳け込んで来た二人の若者がいた。新入社員のように紺の背広を着て、しきりにネクタイを直したり、上衣の裾をひっぱったりしているのが微笑ましかった。眼鏡をかけ温和で平凡な銀行員か商社員タイプの青年が、市川雷蔵であり、目付が鋭く無理にかしこまった感じの若者が、勝新太郎だった。二人は新入社員が初めて会社のパーティに出席する時のようにかしこまっているが、ゲートが開く瞬間の、猛りに猛っている駿馬のように私の眼に映った。市川雷蔵を見た最初である。

その後、雷蔵は「美男剣士」「次男坊鴉」「花の兄弟」「編笠権八」「源氏物語・浮舟」「弥太郎笠」「桃太郎侍」「花太郎呪文」等たて続けに主演し、時代劇の若手二枚目スターとして、めきめき売り出していた。