芸はもちろん大切。だが、顔は表看板であり、何といっても、まず第一の売りものだ。時代劇の主役十五人が自ら語る顔・・・顔・・・顔・・・ その十五人がことごとく、はっきりと、あるいは言外に、自らの顔について自信のほどを示している。しかも、それが少しもイヤ味に感じられない。顔が芸に結びつけられて語られているからだろう。

 持って生れた顔を芸の上にどう生かしてゆくか、そこに苦労もあり、悩みもあり、またナマの顔で演じる現代劇には見出されぬ楽しみもあるだろう。顔について語ることが、めいめいの芸術観を語ることにもなるわけである。

 

 

 素顔については別に不満はない、が、メーキャップをするとなると、やはり苦労する顔だ。人さまからは面長で時代劇向きの顔だといわれるが、目が小さいのが苦労の種。大きく見せるのに苦労する。

 好きな顔は個性のある顔。整った美しい顔というだけでなくて、味のある顔だ。自分もそんな顔になりたいと思うのだが、これには仕事にも人生経験にも相当の年季が入らなければならないのだろう。

 外国の俳優にも、ずい分特長のある顔を持った人が多いが、これもその人その人の持っている何かが出た顔でなければ本当の魅力は出てこないだろう。だが顔を見ただけで、その人が分るような単純な人にはなりたくない。