企画から撮影に入るまで

- 『二十九人の喧嘩状』スタッフ・リレー -

 ● 『二十九人の喧嘩状』について ● 助監督の仕事
 ● 脚色者の弁 ● 美術を担当して
 ● 配役ができるまで

 

助監督の仕事

 助監督の仕事と云われても、これがそうなんですと答える事はむつかしい。監督の仕事が全てを包括しており、助監督は読んで字の通りそれを助ける立場にあるからだ。以下概略的にではあるけれど『二十九人の喧嘩状』の準備期間に於ける仕事を紹介してみよう。

 製作本読みがすむと、クランク・インするまでの五日から一週間が、普通作品の準備期間に与えられる日数である。しかし、今度は主演の市川雷蔵さんが盲腸の手術の為に入院するといった不慮の出来事にぶつかった為に、準備期間はうんと長くなった。

 チーフ、セカンド、サードと呼ばれる三人の助監督が、それぞれのポストに従って、本読みの翌日から、というより、脚本を手にした時から、活動を開始する。

 香盤と呼ばれるシーン割りを作り、小道具を担当するもの、衣裳を担当するもの、そして、ロケ・ハンを行うもの等々である。これらの全てが監督の手足となり、そして末梢神経となるのである。

 本読みの翌日から、まず『二十九人の喧嘩状』のロケ地を決定するため、ロケ・ハンが行われた。撮影にあたってロケーションをしなければならないのは、荒神山と吉良の港とである。荒神山では、やくざの喧嘩が、吉良の港では“嫁と呼ばれてまだ三月”と唄われた仁吉の花嫁が船で着く、と云ったいずれも重要なシーンである。時代劇では、実在した人物であろうと、そうでなかろうと、その背景になっていた場所はその劇にとって必要な範囲で再現したい。

 通称、荒神山と云われているのは、三重県の亀山付近にある加佐登山という、何の変哲もない低い山である。ここまで調べに行ったのだが、ロケ・ハンを入念にするということは、地理的、時間的な条件によって、思うように出来ないのであるが、今度の場合は調べられた。実地に荒神山を調べはしたが、ここをそのままロケーション地として決定することは、地理的にもその他種々の条件に合わず、荒神山ロケ・ハンをもとにして、この山に近い感じのものを京都近郊に見つけ出した。これは、長池と呼ばれるところで、ここには、山あり、谷あり、川ありと、いろんな地形を持った場所なのである。吉良の港までは行くことが出来なかったが、これは琵琶湖の堅田に決め、ここにロケ・セットを組むことになった。

 このロケ地の決定と平行に行われるのが、セット、オープン、ロケ・セットのデザインの打ち合わせである。それと一緒に、小道具の打ち合わせ、衣裳調べなどが行なわれる。これらがすんで、準備期間中のみならず、クランク・インしてからも助監督の大きい仕事になっているのが、スケジュールの編成である。スケジュールの編成に当っては製作部と演出部とが、それぞれの立場からたてたスケジュールを持ちよって、これを取り決めるのである。製作部では、常に制作期間、従って予算との睨み合わせで、スケジュールを編成し、助監督は、監督の立場から。監督が出来得る限り撮り良いようにこれを編成するわけである。

 この他にも、各部が監督さんの意図に従って動いているものなのであるから、各部は正確にそれを掴んでいなければならない。この伝達をするのも助監督の仕事の一つである。