木下恵介氏を囲こむ時代劇スターたち 俳協京都・青年部二月例会より
時田一男、五代千太郎、高倉一郎、森美樹、舟木洋一、月形哲之介
片岡栄二郎、中山大介、円山栄子、福田公子、千典子
丘さとみ、千原しのぶ、北上弥太郎、木下恵介、市川雷蔵、松風利栄子、尾上鯉之助
苦労した『楢山節考』
北上 このたびは、いろんな賞をお受けになっておめでとうございます。今日は又、お忙しい中を私たち青年部の集りに来ていただきうれしく思っています。
木下 みなさん、時代劇をやっていらっしゃる方ばかりだということなので、勉強して帰ろうと思ってるんですよ。時代劇というのは約束事が多くてむつかしいでしょう。
北上 ええ、例えば腰元の帯の結び方一つにしても、御殿の中にいる時と、外出する時とはちがいますからね。
福田 映画ではいちいち結びかえませんけど舞台ではちゃんとなってますね。
市川 舞台はやはり、何百年という伝統を持ったものですし、結び方一つにしろ、理由があってのことですからね。
時田 『楢山節考』の時の苦労話をしていただけませんか。
木下 あれは苦労しました。原作は、米がないの、苦しいのというところはふざけたような歌で書いてあるでしょう。映画で歌を唄ってわかりませんし、困りましたね。やはり、小説のいいのを映画にするのはほんとにむずかしいですね。映画にならなくて当り前ですからね。僕みたいにめちゃめちゃに変えて、別個のものにしちゃうのならべつですけど。
時田 原作者の深沢さんがとてもほめてましたね。
木下 深沢君が見てて、僕よりひどいっていうんですね。何云ってんだ、君が書いたからやってんじゃないか、いや、僕はあんなにひどく書かなかった。(笑)死体をかついでいくとこなんか、原作ではごまかしてはっきり書いてないですからね。
北上 音楽も三味線なんかで変ってましたね。
木下 杵屋さんは映画の作曲はなんてはじめてだから、後で絵を見ないとわからないって云うんです。それが又すごいんですよ。作曲しながら本番をひいちゃうんですから。絵が変ると、ぱっと調子まで変わるんで、洋楽を吹き込むより、よっぽど楽でしたよ。そのかわり、もう一ぺん行きましょうと云ったって、それは出来ませんよ。(笑)当り前ですよね。
北上 演技の注文は・・・・
木下 『楢山』の時は、うんと臭い芝居をして下さいって云ったんですよ。だけど、映画の俳優さんて、臭くやることむつかしいらしいですね。
北上 歌舞伎の場合は臭い芝居が出来たら一人前なんです。僕ら、やれって云われたって出来ないです。
木下 あそう。それじゃみんな、臭い芝居を卒業しなきゃだめだね。(笑)
歌舞伎の型
木下 時代劇の女優さんは、日本舞踊なんかやるんですか。
市川 絶対に必要なことですね。
松風 裾をひいてると踊りよりもむつかしいですよ。踊りの衣裳だと裾に綿が入ってますが、映画の場合はありえませんから。
福田 からまっちゃうのね。
木下 男の人も芸事はやるんですか。剣道ぐらいはやるんでしょう。
月形 ええ、でも、剣道と立ち廻りとは違いますからね。
市川 月形(龍之介)さんなんかは習ったらしいけど、正式に剣道を習った人ってないでしょう。
片岡 師範と云われる人に云わすと、時代劇スターの剣さばきは、初段とか二段の力があるんですってね。
木下 なるほどね。僕ね、高野範士に聞いたんですが、歌舞伎の型はほんとうの刀の型と同じだって云いましたね。
北上 人を斬ると刀が手からはなれないって云いますね。歌舞伎では、石なんかにひじの電気のくる所、あそこをぶっつけますね、あれ、やっぱりほんとうですってね。
木下 立ち廻りしてて、見得をきるでしょう、あれも極まるとああいう形になるって云いますね。
福田 それに、本身ならああはふりまわせないでしょう。
市川 自分の足を斬るもの、下手したら。
木下 立ち廻りの稽古なんかはやってるんですか、撮影する時じゃなしに。
片岡 東映の場合、剣会というのがあって、撮影のない日でも道場で稽古してます。
北上 松竹、大映には、剣友会があるんですよ。
市川 立ち廻りはやはり東映ですね。松竹にしろ大映にしろ、東映ほどの練習はやってないもの。
片岡 若い人がとても積極的なんです。とにかく、落ちろといえば屋根からでも落ちますし、危険なことでも進んでやりますよ。
木下 東映の時代劇が面白いはずだ。
尾上 馬にしたってそうですね。みんな乗れますからね。
木下 斬ったりする時は、やっぱり本当にさわるのですか。
片岡 ええ、当てますね。又、からみの人がそうして下さいって云うんです。当らないのに死ねないって云うんです、特に後ろから斬られる場合なんかそうですね。
市川 だから、刀はよく折れますよ。
木下 でも、折れるくらい殴ったら痛いでしょう。
片岡 やってる時は力が入ってますからそうでもないですよ。
福田 話が変わりますけど、今度「落城」をやられますでしょう。それは、時代劇らしい時代劇なんですか、それともリアルな・・・・。
木下 ええ、そうですね。面白いチャンバラを撮って見ようったって、東映さんにはかなわなそうじゃないですか。(笑)
考証はむつかしい
市川 演出の上でね、現代劇とは意識的に区別されますか。
木下 意識的にはないでしょうね。いくら昔の人間だからといって、気持の受け取り方だとか、感じ方が違うはずはないでしょう。だからといって、現代人の僕の気持ちで解釈したら間違いだろうと思います。やはりその時代に逆のぼって人間の気持ちを理解しないと。こないだも一週間ばかり会津へ行って、雷にとじこめられちゃったんだけど、そこの一流旅館の食べ物のまずいこと。だから、会津戦争の頃は殿様だって士族だって、ろくなものを食べてないことは間違いないですね。そうしてみると、食べ物ってずいぶん大切ですから、物の感じ方だとか考え方なんか、ずいぶん違うでしょうね。
片岡 時代劇ではね、話し言葉にしろ、きまったような云い方しかしてないでしょう。なんか、自分をくるんでような云い方でしょう。僕らやってて、あんな生活してたのか、さっぱりわからないです。
木下 会津で調べてきたことなんですが、きまった云い方しかなかったと思いますよ。女なんて発言しちゃいけないんでしょう、なるべく黙ってる方がいいんで、ユーモアなんて、はしたないってもんですよ。だから、家族だといっても団欒で笑いあってしゃべるなんてなかったでしょうね。
松風 感情がなかったんじゃなくて、動かしちゃいけないんですね。
木下 ですから顔だって、ラブシーンであんなに動かないですよ。昔の女の人があんな表情したろうかといつも時代劇を見て思うんですけどね。
福田 甘える事なんて出来ないでしょうね。
木下 会話だってうんと少なかったろうし、それが現に残ってますね。何かしゃべってもらおうと思っても、学校の先生がしゃべらない、積極的にしゃべるのははしたないんだね、そういう日常生活だと、顔の表情も違ってくるでしょう。
片岡 ですから、ほんとうの気持が表情に出ないでしょうね。
木下 子供が日新館から帰ってくると、お母さんが仏間へ連れてって切腹の稽古をさしたというんですからね。そんな後でお母さんに甘えたり笑ったり出来ないもの。
北上 表現のしかたはちがっても、感情には共通のものがあるんじゃないですか。
木下 そういう感情にならないかもわからないもの、そういう習慣づけられたら、現在でもね、こういう会合があると、先輩後輩の席順がすごくうるさいんですよ、会津は。そして先輩には絶対反対が出来ない。
福田 宝塚がそうだったわね、今は知らないけど。
木下 会津的だね、それは。(笑)
北上 歌舞伎でもそうですよ、こっちが先に階段を上がっていても、上からえらい人が降りて来たら一度降りんならん。
木下 では後一、二段という時はどうすんの。(笑)
北上 芝居なんかでも絶対に手をとって教えてくれないですよ。見てたらいいって云うやり方ですから。
市川 それはその方がいいのやろうな。
木下 いつも現代劇の中にいる僕が、時代劇の人の中に入って、時代劇にこれだけ熱を入れる人が、同じ映画界にいるっていうこと、はじめて知ったな。僕も急に移って来たくなっちゃった。(笑)(「時代映画」昭和34年3月号より)