ラッキーだった「新・平家」の役

記者 「新・平家」が、代表作ということになりますか?

谷村 これはおそらく彼のスタア生活の中でも、忘れられない作品だろうね。そのほかでは、「又四郎行状記」だナ。これは一番コナしてたナ。いいところもわるいところも素直に出していたナ。

伊沢 映画はあまりよくなかったけれども雷蔵はちょっと目立ったナ。つまりああいう事の出来る俳優ではあるわけだ。映画自身、テーマがちゃんとしていれば、彼として行けるわけだ。

谷村 その点、美空と組んだ「歌ごよみお夏清十郎」ね。あのときは唄も入るんですがね、美空の・・・。そういう唄ものの甘い雰囲気が出て来たら、あれに案外のれないナ。

伊沢 テレちゃうんだろうか。

早田 歌のせいだね。

谷村 この手のヤツが出来ないと、二枚目として困ると思うんだ。それから不思議に歌舞伎から映画界に移る時代があるね。同じ時期の人では、右太衛門、千恵蔵、阪妻、長谷川、これらが大正十五年から昭和二、三年の間に移った人達ですからね。それから好太郎、沢田清、嵐寛寿郎、尾上菊太郎、沢村国太郎、尾上栄五郎、これが一応二枚目でみんな売っちゃったんだ。それが今度、扇雀、鶴之助、雷蔵、北上、錦之助、賀津雄、橋蔵、扇太郎、歌昇、芝雀、それから友右衛門と、みな同じくらいの時期ですよ。

伊沢 ともかく映画界に移るのには周期的なものがあるよ。だから梅幸、幸四郎、松緑は入らんもの。ということはその間は歌舞伎が安定していたんだね。いまはそれが動乱時代だからこういう事になっただろうね。

伊沢 とにかく雷蔵は、そういう周期的な映画界入りする仲間に入らなければ、関西歌舞伎の大立物になったもしれない。

早田 雷蔵には、たしかにはやりすたりがないね。「新・平家」の役は、早すぎたという声もあるが、どうかね。

谷村 早いより好演ですよ。

伊沢 やらんよりやったほうがいいにきまってるよ。また失敗したら早すぎたといっていいけれども、失敗しないもの。それにしてもあの時期にあの役を貰ったということは、大ラッキーですよ。ちょっと無理だものね、普通から云ったら・・・。

記者 ではこの辺で、どうもありがとうございました。

(56年3月10日発行 平凡スタアグラフ「市川雷蔵集」より)