清盛の大役

こんど大映で、総天然色映画「新・平家物語」を撮ることになり、主人公の平清盛の大役が私に廻って来たのでたいへんです。舞台では父寿海が前にこの清盛を演っておりますので、こんど私がやるのは妙な廻り合せで、親子二代清盛というわけです。

脚本を読んで見て、当時の無気力な貴族に軽蔑されながらも、着々勢力を固めていった武士階級の子として清盛は生れた。しかし彼にとっては忠盛の子でもなければ武士でもない・・・ただこの世に生をうけた一介の人間に過ぎないという自覚、その間父に対する疑問や公卿制度、武権政治の批判などさまざまな苦悩を味わいながら、人間的な成長をとげる−まあそういう表面から眺めたものより、内面的な清盛を把握することが大切だと思うんです。

それから演技的に、もっともむずかしいと思った点は、奔放ともいえる果敢な清盛の性格が、普通人なら考えもつかぬ行動を見せるんです。事実脚本の中にズッと同じ調子で流れていた感情が突然ほとばしるように急激な変化を示す個所がニ、三あります−いままで線の細い“若さま侍”といった役が多かっただけに、こんどはあなたにとって一つの転機なんだろうといわれていますね。たしかに従来の役柄は笑えといえば笑い、泣けといわれれば悲劇的な感情を作るといった単純なものでした。したがって清盛は歌舞伎、映画を通じて、全然経験しなかったやり甲斐のある役です。

これがいわゆる転機になるか、ヘタをすれば俳優として自信を失う結果になるか判りませんけれども、とにかく“当ってくだけろ”の意気で役者の生命を賭けたいと思います。だからむしろ今まで役者として積みかさねて来たものを綺麗に捨て、全然白紙にかえって雷蔵の清盛を創造したいとはり切っているんです。清盛も“運は天から降ってこぬ、この手でつかむのだ”というセリフを吐きますが、これは幸運であると同時に大難を背負った僕の心境をズバリ表現していますね。