市川雷蔵

 『炎上』の主人公をだれにするかで監督の市川崑はかなり考え込んだらしい。ヤジ馬的常識に従うなら、おのれを白眼視した世間への意趣返しに金閣寺に放火するほどのアプレ役なら、ご存知川口浩といきたいところだが市川崑は雷蔵を選んだ。

 一言にいって『炎上』の雷蔵はすばらしい演技を見せた。正直な話、いかにも日本的にジメついたあの青年のムードは、万事ドライ調の川口浩には求めても出なかったものに違いない。大体、時代劇の役者が、現代劇に出て成功する例はまれだ。昔、阪東妻三郎(田村高広の父)が『無法松の一生』で見事な芝居を見せた例があるが、多くの場合は時代劇で身につけた“型”が画面に条件反射して、現代劇を古くさいものにしてしまっている。

 雷蔵の場合は、逆に現代劇のホープ仲代達矢をとって食うほどの立派さを見せた。一説では、“あれは彼の素地だ”という。時代劇という古くさい世界に身を置きながら、彼が今日の社会を正しく呼吸している証拠だろう。

 時代劇での彼は『命を賭ける男』での水野十郎左衛門の役がやや目立ったていどで、『忠臣蔵』も『日蓮と蒙古大襲来』も従来のワクを出ていない。『炎上』で発掘された新しいショッキングなタイプに比べれば、時代劇の雷蔵など論ずるほどのこともない。が、しかし、大映は『炎上』の彼を“芸幅を広げた”というていどにしか受取っていないらしい。若殿様の方がソロバンに合うと、ガンコに考えているのだ。雷蔵が新しいおのれの像を生かすか殺すかは、彼が将来どれほど会社に抵抗でき得るかという一点にかかっている。