△その意味で来年撮ることになっている増村保造監督の「好色一代男」は、大いに野心を燃やしていますし、「炎上」の監督さんである市川先生で撮っていただくはずの、「ぼんち」などはより以上の楽しみです。

 「ぼんち」は現代劇でしかも私の得意な関西弁であり、先輩の方たちがつくられた大阪ものとは違う個性をなんとか出してやろうと考えています。市川先生のことだから、単にムード的で漫才的な大阪ものでなく、水晶の駒を動かすように乾いた音をたてる心理の動きを追った新しい大阪ものをつくってくださるだろうと、いまから期待しています。

△大江健三郎さんの最近作に「われらの時代」というのがありますが、ああいう現代青年の悩みと矛盾を描いたものをやってみたい。もっともこれは日活ですでに映画化がきまりましたが、・・・大江、石原さんなどがつくっている「若い日本の会」のメンバーの方たちと交際させてもらって、なにか新しいものを生んでいくということは前から考えていました。

 それ以外にも、若い脚本家の人たちとも組んで仕事がしたい。それから私がいま考えているのは、映画界や文芸の世界の若い人たちだけでなく、工業、商業、農業などの各界の若い人たちと交わって新しいエネルギーをつかみたいということです。映画の世界にだけ閉じこもっていると、どうしても視野がせまくなる。“役者子供”ということが俳優に対する賛辞だったのは過去のことで、複雑な現代社会ではもう通用しないと思うのです。

 青年エンジニアお交際して、私たちの知らない技術革新にふれるということが、ただそれだけで自分の演技になにものかをプラスするというような気がして仕方がない。劇評の専門語でいえば演技のふくらみということでしょうが、とにかく私はこれからこのふくらみをだそうと努力するつもりです。浪花節調の懐古ものといえばそれまでで、目に角をたてる程のこともないが、戦時中の例をひくまでもなく、この種のものは青少年を魅惑するさっそう感があるだけに製作にはよほど慎重な態度がほしい。