一歩先をいく

 仮に石原裕次郎や川口浩がチョンマゲをつけて時代劇に出る、といっても不思議がる人は余りいないと思うが、時代劇の二枚目スターの錦ちゃんや橋蔵さんが、洋服を着て現代劇に出演するということになったら、だいぶ異論がとび出すのではあるまいか。

 市川雷蔵が『炎上』で、金閣へ放火するドモリの苦学生、坊主見習いの溝口青年をやることにしたとき、まわりから、ずいぶん危ながられ、やかましい反対にあったらしいが、彼は最初からこの役にホレ込んでいて動かなかった。この企画を面白がり、雷蔵の思い切った決心に拍手を惜しまなかった連中でも、この映画が出来上って見るまでは、彼のこの冒険に一抹の不安がなかったわけではない。初めから成功間違いなしと思ったといってはウソになろう。そして、何といっても彼自身が内心味わった不安が一番大きく深刻であったに違いない。

 しかし、そんな迷いや不安をふり切って飛躍的とも見える計算のできるところに、市川雷蔵のほんとにいい意味でのドライ的面白さがあるのだと思う。それが彼に『炎上』で、キネマ旬報男優賞、ブルー・リボン主演男優賞をかちえさせたのである。

 時代劇の第一線スターは、ともすればミーハー的な濃厚な人気に甘やかされ、まわりにやかましく云う人があるとか、会社が考えてくれない限り、現状から動こうとはしないが、彼だけはいつも自分から何か一歩先のことを考えて、甘やかされまいとしている。暇があれば必ず、銀座の空気を吸いに東京に出てくるし、会社が相手にしようとしまいと、どんどん自分の企画を会社に提出しているのも彼らしい。

 それで、『好色一代男』と『ぼんち』とを獲得し、アメリカ行きも実現の域にこぎつけ、やがては監督もやりたいという夢を本気になって考えている。たいへんな行動派である。

 現代劇の市川雷蔵ではなく、日本映画の市川雷蔵と呼ぶに相応しいスターになる日もきっと遠くはあるまい。

(1959年朝日新聞より)

山本 恭子さん(やまもと・きょうこ=映画評論家、本名田鶴=たづ)6日午前5時25分、肺炎のため、東京都青梅市の病院で死去、90歳。葬儀・告別式は行わない。自宅は同市成木1の634の7、特別養護老人ホーム九十九園。女性映画評論家の草分けで、雑誌「映画之友」などの編集者として活躍した。〈朝日新聞1996(平成8)年11月8日付朝刊社会面〉