暗中模索

市川 今年の正月に、僕はじめて東京で富士山を見たよ国際劇所の屋上から富士山がちょっと見えた。よほど晴れわたっていたんだね。

長門 相当北風の強い日だったんでしょうね。

市川 なかなかいい感じだった。右側がスーッと長く見えて・・・。

長門 富士が見えるのが東京のよさだったんでしょうけどね。

市川 富士山の見えるところが沢山あるんでしょう。富士見町とか駿河台とか・・・彼女(遠田恭子さん)の家からも見えるよ。椿山荘の並びですから・・・。

長門 あそこら高台ですからね。ところで、少しまともなというか、仕事のお話なんですけど、市川崑先生がいっていたでしょう。こんどの「破戒」のことで。スタニスラフスキー・システムの意味だと思うんだけど、リー・ストラスバーグが主催しているアクターズ・スタジオ、その中のアンソニー・パーキンス的な演技をしろといわれたんだけど。要するに僕は体力的な動きだと思うんですがね。じゃ雷蔵さんはどうですか、といったら、雷蔵さんもそうだというんです。それから興味をもって雷蔵さんがどういう風な形で演じられるか見てるんですけど・・・。それで「破戒」になるのかということが本当は心配だったんです。

市川 全然、方向違いみたいなことをいうからね、市川先生は。それにまどわされるとえらいことになる(笑)

長門 僕は完全にまどわされた(笑)

市川 これは市川先生特有のポーズなんだよ。「それはそうじゃけども」(顎をなでて市川監督の身振りをする)というようなことをいいだして、全然、わけのわからんようなことをいいだすんだよ。(笑)またそこがいいところなんでね。

長門 この間、ラッシュ見たんだけど、暗いところに雷蔵さんの顔がある。丑松の苦悩を出してじっとしてらっしゃる。そのうしろに僕が他愛なくいる。市川先生にいろんな動きをしろ、無駄な動きをしろといわれて、耳をつねったり、頭をかいたりいろんなことをやったわけだけど、それが画面の中で、二つの立場を明確に出している。それに宮川(一夫)さんのカメラは僕を明るく、雷蔵さんを暗くというように撮っている。島崎藤村のイメージが完全に画面の中で描かれている。カメラと監督さんがうまくやってくれるので安心しちゃったわけだけど・・・。

市川 とにかく映画なんて俳優よりも、脚本と監督、カメラが大事で、俳優はその次だと思ってますね。僕は・・・。

演技あれこれ

長門 ほんとうにそう思いますねところで雷蔵さんの場合、一つの役を演ずる場合、自分にひきよせてからやるわけですか?

市川 一応、ひきよせますね。

長門 それが役者の一つの大きなやりかただと思うんですが、僕の場合、一つの役をやるときそれに溶けこもうとするんです。そこに大きな差があるわけですね。

市川 それでやってると、自分でいいと思っても、第三者が見ると具合が悪いときが出ることがある。いっぺん自分にひきよせて入っていくことでないといかんね。

長門 例えば「婦系図」をやりましたね。その場合、雷蔵さんの方からこのまま演ずるのはいやだとか、もっと現代風にしたいとか、要求出来るわけですか?

市川 それはありますよ。内容的に良くしようとすることなら、きいてもらえますね。それも本が出来る前にいわなきゃだめでね。出来上がったものを、このセリフがあかん、ここをけずる・・・そんなことじゃだめですね。

長門 大変しあわせですね。なかなかそういう立場というものは、得ようとしても得られないですからね。

市川 長門さんは日活と年六本ですか、契約は?

長門 そうです。僕の一年間のノルマは八本がせいぜいですから、ちゃんと六本やると、他社には二本しか出られない。その点、日活は全部消化しないでも他社にいい作品があったら出ていいというんですよ。チャンスですからいろいろやってみようと思ってます。

市川 選べるというのはいいじゃないですか。

長門 選べるほと仕事があればいいんですけど(笑)

市川 いずれにしろ、これを機会にこれからもよろしく。

長門 こちらこそ、今度ともよろしくお願いします。

(「近代映画」62年5月号より)