俳優として初めて講師に招かれた大映スターの“日本映画論”

“芸者は花代、女郎は玉代”

 話が一段落したところで、市川先生は日ごろの勉強ぶりの一端を示して、学生諸君の励ましとした。

 「私たち演技者の演技づくりの学校はこの社会であり、この世間なのです。ときにふれことにふれ、ずいぶんといろんなことを教わりました。必要に迫られての雑学ですが−。たとえば市川雷蔵これは芸名です。同じように、文筆家はペンネーム、俳人は俳名、画家は雅号、相撲は四股名(醜名)、ボクサーはリング・ネーム、ここまではだれでも知っていますが、女郎は源氏名ということになると少なくなる。では芸者はと−ほとんどごぞんじない。これは男名前、奴名というのです。そのほか芸者と女郎のちがいは、芸者は花代というし、女郎は玉代、芸者の住み替えは女郎の鞍替え、こんなことは本大学では教えないと思います」

 このような勉強、努力がむくわれたと思うときはどんなときか。市川先生はいう。

 「それは、一人でも多くの人たちにあその努力の結果が見てもらえたというときであります。今日日本の学生諸君の中には、日本映画を軽視し、外国映画を見ることがなにかカッコいいことであるかのような錯覚をもっている向きも少なくないと思います。

 なるほど、日本映画には低俗なものが少なくない、外国映画にはお金のかかったおもしろいものが多いかも知れません。ただ、映画にかぎらず、日本人ほど自国の製品、つまり、国産品を蔑視し、舶来品をありがたがる人種は少ないのではないでしょうか。どうぞ今日を機会に、学生諸君も大いに日本映画を愛好されますよう、よろしくお願いしたいとぞんじます」

 ということであった。

 同志社大学学生課長の松田荘作氏はこう語っている。

 「市川雷蔵さんを呼んだのは大成功でした。話もよかったし、学生も大勢参加した。いままで小松左京、大島渚、岡本太郎、黒岩重吾、羽仁進らの文化人をお呼びしたのですが、今回は武者小路実篤先生以来の人気でした。この時間は授業は休みになるのですが、ふだんはどうも出席が悪くて。いつもこのくらい集まってくれるといいんですがね。芸能人に頼んだのははじめてです。市川さんは一見サラリーマンといった感じで、その人柄を高く買っていましたので。われわれと共通の点を持ち、またひとつのモノを持っているかただと思います。色紙を書いてもらいましたが“得意冷然 失意泰然”の文句もいいが、個性のある字で感心しました」

 それにしても映画館の満員が珍しがられるこのごろ、映画俳優の出る大学講義が大入り満員とは妙なことになったものだ。

(平凡パンチ65年5月17日号より)