古いアルバム

 「僕がお父さんやお母さんの実の子やないんやて?・・・うそや!そんなはずはない、うそや!うそや!」

 中之島公園の家庭裁判所の門をとび出した嘉男は、心で叫びながら堂島川に沿って逃げるように歩いた。だが、たったいま裁判官から見せられた戸籍謄本に、間違いがあるはずはないと思い至ると、嘉男の足はガクンと止った。

 「落着け、落着くのや、子供やあるまいし、みっともない・・・」

 堂島川に向ったベンチに、崩折れるように腰をおろす。その嘉男の肩に、桜の花びらが微風にのって落ちてきた。

 去年の暮れに養子縁組の内約束は出来たが、年が明けてから、千土地興行取締役の白井信太郎氏が仲人になって、正式に決定したのがこの四月下旬だった。養子縁組の届けがあると、家庭裁判所は一応当事者双方を呼び出して事情を聴取する。その日、嘉男は呼び出しを受けて、久しぶりに中之島公園をぶらつけるな、と芝居休みの気易さもあって、のんびり出かけてきたのだったが・・・ 

 「お父さんやお母さんが生みの親やないのんやったら、僕を生んだのはいったい誰や・・・なんでこの齢になるまで、それを知らなんだのや・・・」

 自分のうかつを咎める一方、今日までそれを気づかせずにきた深く大きい父母の愛情に、感謝の念が湧いてもくる・・・と同時にまた、「あんなええお父さんやお母さんが、ほんまの親やないなんて、あんまりや・・・」と、少年のような幼い悲しみが、むしょうにこみあげてきて、どっと涙があふれた。

 もうあと幾日も両親と共には住めぬわが家へ嘉男が帰ってきたのは、夕暮れにま近かった。茶の間で夕刊を読んでいる父をチラと見ながら、嘉男は勝手で夕仕事中の母の傍へ行って立った。

 「お母さん、僕、いままで我儘やった・・・」

 はなは息子のようすを審しがった。

 「お母さん、僕、お母さんから生れたんやないのですか!ほんとに、お父さんの子やないのんですか!」

 子供のようにしゃくりあげる息子の胸までしかない母は、その胸に顔をおしあてて、言葉もなくすすり泣きはじめた。

 「嘉男、まあこっち来てお茶でも飲まんかい。お母さんも来なさい。三人で話合おうやないか」

 九団次が立ってきて、母子を茶の間へうながした。いまはじめて聞く数奇な運命−嘉男ははなの弟の子として京都で生れたが、まだ母の胎内にいるうちに、父が亡くなった。不憫に思った九団次夫婦が、子供のないのを幸いに、生れおちると同時に養子として引取って、実子同様に今日まで育ててきたのだった。生みの母も、いまは亡き人だった。

 「生みの親の顔を知らんお前は、可哀想といえば可哀想かもしれんけど、いまはこのお父さんやお母さんと、実の親子以上の深いきずなに結ばれとるのやもの、さびしいことはあらへんやないか。産湯を使わせたときから、このお母さんが抱いて育ててきたんや」九団次は、はなに昔のアルバムを持って来させた。

 「みてみい、お宮詣りの時から今日までの、お前の写真のどれ一つにも、お父さんお母さんの気持が通うてへんのはないのや。お前ははじめから、お父さんとお母さんの子なんや」

 じわじわと瞼ににじみわく涙は、あたたかくて、こころよかった。

 「ほんまやな、僕の思い出の中には、お父さんとお母さんしかいてへんわ」

 嘉男はもう微笑さえうかべていた。いまとなっては、他に親があったということなど、それほど大したことではない、という気にさえなった。そうした大人の感情にもどると共に、嘉男は改めて両親の前に手をついた。

 「お父さん、お母さん、いまさら何もいいませんが、長い間ありがとうございました。我儘ばかりいってすいませんでした」

 すると、九団次はぷっと吹き出して、

 「あほらしい、なにいうてんのや、なんぞの芝居のセリフのつもりか。ご大層な切口上ならべくさって、後できまり悪うないのんか」

 つられて嘉男も笑い出し、はなも笑った。

    

 

寿海が