この暑いのにラブシーンとは御苦労な話ですが、日本舞踊の色模様には
美しい形のきまったものだけがもつ一服の清涼剤のようなすがすがしさが
あるものなのです。
 そこで、雷蔵さんと千原さんに演じていただきました。

 

『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい・こいのたよりやまとおうらい)』 -梅川忠兵衛-

◆解説

 近松門左衛門作の世話浄瑠璃である『冥土の飛脚』を、安永二(一七七三)年に菅専助(すがせんすけ)と若竹東工郎(わかたけとうくろう)によって改作されたのが「恋飛脚大和往来」だ。従って-梅川忠兵衛-には『冥途の飛脚』と『恋飛脚大和往来』の二つの作品がある。

 原作の『冥途の飛脚』の初演は正徳元(一七一一)年三月の竹本座。人形浄瑠璃である。改作の『恋飛脚大和往来』が歌舞伎で初演されたのは安永七年の角の芝居であった。序幕・封印切り、大詰・新口村。

◆あらすじ

 大阪の飛脚屋の養子亀屋忠兵衛は、忠兵衛の友人で恋敵の丹波屋八右衛門が愛する梅川を身請けすると言い出したため、御用金に手をつけてしまう。御用金に手をつければ死罪。じきに事情が知れると覚悟した二人は、死ぬ前に亀屋忠兵衛の父・孫右衛門に会いたいと故郷の新口村へ。梅川が身を隠す忠兵衛とその父の間を取り持ち父子の対面がかなったのもつかの間、追われる二人は行く先の無い旅に出る。

◆縁の地

三輪の茶屋(梅川忠兵衛の碑)

 公金を横領した忠兵衛は、遊女の梅川と故郷である新口村(橿原市新口町)に逃げていく。その途中、奈良の旅籠や三輪の茶屋で数日過ごした。

 ニ人が立ち寄ったとされる三輪の茶屋は竹田屋という屋号の大名も泊まる本陣で、100人以上泊まれるような大きな宿だったそだ。昭和50年までは当時の建物も残っていたが老朽化のため取り壊され、現在は13代目の主人である田村恵三さんの敷地内に、前栽の石を使って「梅川忠兵衛の碑」が建てられ、一般にも公開されている。

 死を覚悟しながらも逃げるニ人がどのような思いでこの宿に泊まっていたのか、ニ人の絶望や望みのない恋が実際に宿の子孫により語り継がれ、今も歌舞伎や文楽として演じられるもとになったとも言える。

梅川忠兵衛の碑

 

梅川忠兵衛の碑

善福寺境内・梅川忠兵衛の碑

 近松門左衛門の名作『冥土の飛脚』のモデルとなった忠兵衛の故郷が橿原市新口町である。大阪淡路町の三度飛脚亀屋の養子忠兵衛は新町槌屋の遊女の梅川と恋仲になり通い詰めるようになった。ところが、梅川の身請けの為に金に詰まった忠兵衛は、三百両の封印切りの大罪を犯し、二人は、忠兵衛の生まれた大和新口村(現在の橿原市新口町)に、手に手を取って駆落したが、二人ながらにとらえられてしまった。忠兵衛は、大阪千日前の刑場で処刑され、梅川は二度目のつらいつとめを経て、近江矢橋の十王堂で、忠兵衛の菩提を弔いつつ懺悔の日々を50年余りおくったという。

 近鉄橿原線新ノ口駅の北,善福寺境内にある。近松門左衛門の名作『冥土の飛脚』や歌舞伎『恋飛脚大和往来』の主人公忠兵衛の生家が新口にあったことによる。