悲運の投手・前岡を奮起させた雷蔵の涙

ある善意の物語

“ついに一勝を飾った”

 前岡投手の瞳は、みるみる歓喜の涙でふくらんでいった。そして、四年間の雌伏時代に、彼の悲運を慰めてくれた人、市川雷蔵にこの勝利を、一刻も知らせたかった。“カッタウレシイ”たったひと言の電文を打つ人も読む人もどれほど待っていたろうか。

 「もし勝てなかったら、一生会えなかったところだネ」

大阪の繁華街の料亭の一室。市川雷蔵さんは、阪神タイガースの、前岡勤也投手の顔を見ながら、うれしそうに笑った。

 去る九月二十三日、川崎球場で行われた大洋・阪神戦に前岡がプロ入り四年目に初めてあげた一勝をを祝って、雷蔵さんが、とくにもうけた祝いの席だった。前岡はその一勝をあげるまで、けっして雷蔵さんに会うまいと心に誓っていたのである。

 新宮高校時代、豪速球左投手として高校球界をにぎわし、各球団の激烈なスカウト合戦をへてタイガース入りしたものの、この四年間は、まったく鳴かずとばずの不甲斐ない彼であった。

 ペナントレースでは、登板すると、自信のあるストライク一本も通ぜずに自滅してしまう。そんな前岡は周囲から、

「あいつは人間がだめなんだ」「若いうちにモテはやされるからロクなことにならない」と、酷評の限りをつくされた。

 高校時代、三重県亀山の実家から、熊野川畔の前岡家に養子にやられ、“人恋しい”青年に育ったことも、今から思えば、彼に立直りに大きなマイナスとなった。

 一昨年−昭和三十二年のシーズンも終わり近く、相変わらず芽の出ぬ前岡は、自暴自棄となって、夜の盛り場をのみ歩いているとき、偶然に、大阪・南のスワンという酒場で、市川雷蔵さんとバッタリと行き会った。連れの人に紹介され、その夜は痛飲、すっかり彼が気に入った雷蔵は、さっそく翌日、甲子園に出かけて行った。前岡も、雷蔵さんの仕事場である撮影所に遊びに行くなど、二人の間に“男の友情”、がすこやかに育っていった。