僕らも負けられない

池広一夫

 

 『炎上』と云う作品、僕にとって生涯忘れられない作品となった。

 この作品で僕は二人の人を知った。一人は僕の師となり、一人は僕の友となった。市川崑さんと市川雷蔵さんである。以来、雷蔵さんとの交友は、公私共続けられている。彼の情熱と闘志に僕はタジタジとなり、コンプレックスを感じる事が多々ある。然しその底に僕の身内にも、反撥と闘志が芽生える。市川崑さん、雷蔵さん共、むき出しのファイトと口に衣を着せない痛烈な批判と、斯様なタイプの多い映画人の中でも、抜き出たものだ。僕は実に良き師、良き友を得られて幸せだと思う。

 病弱で、肉体に闘志を薄れさせていた僕に、精神的なエネルギーを注入してくれたのは、雷ちゃんであり、市川崑氏で あった。十年間の助監督生活を黙々と歩んできた僕は、急激に演出家として自作を発表する事に貪欲になった。プロットを作り、シナリオを書き、どしどし会社に提出した。雷ちゃんは、僕の書いた脚本を、喜んで読んで呉れ、アクターとしての意見を出して呉れた。彼の意見は大変参考になった。そうした僕の意欲が通じたのか、1961年の末、僕は処女作を発表する機会に恵まれた。彼は自分の事の様に喜び、進んで特別出演してくれた。ワンシーンだけ出る遊び人の役だったが、所謂映画に、トップスターがワンシーン出演すると云うことは、異例の事だった。彼の出演が後半のダレ場を、どんなにか救って呉れたことだったろう。『炎上』とは別の意味で忘れられない作品『薔薇大名』は、雷ちゃんはじめ、友人達の好意に包まれて完成された。クランクアップした時は、常用の「おつかれさま」と云わず、みんなが「おめでとう」 と云って呉れた。彼等の善意にスタッフルームに戻った僕は、隠れて泣いた。監督になった以上、希みは、やはり、トップスターの出演する作品を手がける事だった。その機会は思いがけず早くやって来た。『沓掛時次郎』である。

 第二作『天下あやつり組』が不評で、当分撮らしてもらえまいと思っていた僕に、突然カラーのフューチャーが廻ってきた事は驚きだった。雷ちゃんの好意がつくづく感じられ、どうしてもこの作品を良い映画に仕上げたかった。強行撮影で、実際へばったが、彼は三日も眠らず頑張って呉れた。後刻彼を酷使したと、後援会の人や、ファンの人から随分非難の手紙を受取り恐縮したが、撮影中は、何とか僕を一人前にしてやろうと努力している彼の気持を感じて、実に嬉しかった。幸い『沓掛時次郎』は好評で、僕にも次々と仕事が与えられた、色々会社にも迷惑をかけ、若しこの作品の出来が悪かったら、恐らく僕には、もう仕事が廻って来ることはなかったろうと思う。感無量だ。

 其後、『かげろう侍』『花の兄弟』と雷蔵さん主演の作品を撮らしてもらった。彼は脚本の時から、僕等と接触して、楽しんで映画を作ってゆく。そして一作終る毎に次の作品に入ってゆくタフネスさに、圧倒されそうになる。彼の映画人としての現代性をみて、僕にも新しい意欲が湧く。僕等も負けてはいられない。何時かお互いの若さをぶっつけられる様な作品を、雷ちゃんと組んで撮りたいと念願している。

(01/27/62 よ志哉 27号)