華やかなる大映の中で
虚無と闘いながら
散ったスター

 

 市川雷蔵といえば大映時代劇の人気スターというイメージが強いが、私に言わせれば、大映時代劇は長谷川一夫一代のものであった。雷蔵も勝新太郎も確かに長谷川の後継者として売り出されたが、彼らの資質は長谷川とは余りにも違っていたし、長谷川の存在を超えるなどどう考えても不可能であったことは、当人たちがよく認識していたはずである。だからこそ、雷蔵は眠狂四郎、勝は座頭市という、長谷川が演じたことのないキャラクターを生み出したと言えるのではないか。もっとも、白塗りの似合わない勝はともかく、雷蔵は役柄的に長谷川の跡を継ぐに充分な資質を持っていた。しかし、彼はそれをよしとせず、勝以上に反長谷川エネルギーを燃やし続けたのは明らかである。その結晶が、ニヒルでストイックなヒーロー像ではあるまいか。長谷川をしのごうかという人気絶頂期に、猛反対する会社を一年以上も説き伏せて実現した三島由紀夫原作(「金閣寺」)の『炎上』を筆頭に、『斬る』、『陸軍中野学校』、『ある殺し屋』、『ひとり狼』、そして再び三島文学に挑んだ『剣』など、私が彼の代表作と思う作品は、強烈な虚無に侵食された男の物語ばかりである。

 この手のキャラクターに対して雷蔵がいかに思いを寄せていたかは、次のような彼自身の文章(飛鳥新社発行「雷蔵、雷蔵を語る」)によっても明らかである。<試写を見て私は驚きました。狂四郎という人物を特徴付けている虚無的なものが全然出ていないのです。映画の中の狂四郎は何か妙に明るくて健康的でそれは狂四郎のイメージとまったく相反したものでした。これまでの私にたくまずして出ていた虚無感や孤独感といった一種のかげりが今や私の肉体的、精神的条件の中から殆んど姿を消していたのに私ははじめて気がついてハッとしました>。雷蔵はこのことを、結婚したことでの安らぎ、充実感のせいだと断定しているのだが、こういうことを書くのは自分へのいましめというより、この手の役を演じこなすことにこそ自分の存在理由を見つけていたことの証明だろう。

 雷蔵が長谷川のような千両役者ではなく、性格俳優たらんとしていたことは想像に難くない。そのことは彼がもう少し長生きしておれば、もっと鮮明になったかもしれないが、私は大映時代劇の華やかなイメージの中で、実は人知れず<虚無>と闘いながら散っていった雷蔵をこよなく愛する。虚無のあだ花には夭折こそふさわしい、などと思ったりしながら・・・。(キネマ旬報08年4月上旬号より)