市川雷蔵の魔は「静」の魔。同世代の中村錦之助や大川橋蔵が、極彩色の「陽」のイメージを持つ時代劇スターなのに比べ、どこか薄倖の美男という風情と、現代的な知性を感じさせる「陰」の魔でもある。そんな彼を、当時のちょっと通ぶった年上の女性ファンたちは、畏敬と情愛の念をこめて「雷さま」などという呼び方をしていた。良き時代を偲ばせる、妙にくすぐったい記憶である。

雷蔵はまた、不思議な底力をもつ俳優でもあった。とにかく演じる役柄が多様である。いわゆるツッコロバシの二枚目から、『破戒』『炎上』『ぼんち』『華岡清洲の妻』『剣』などの文芸物、『忍びの者』『陸軍中野学校』『若親分』『眠狂四郎』などのシリーズものと、いつでも、観る者がつらくなるほど、スクリーンに映る彼の姿は蠱惑的だった。

その中で、ただ一本、彼の代表作を選べといわれたら、迷うことなく、三島由紀夫原作の『剣』を挙げたい。正しく強くありたい、ただそれだけを目的に、剣ひとすじの生活を送る大学の剣道部の部長「国分」。あるとき、部員の裏切りに遭ったことから、自分のいたらなさを恥じ、そうした自分が許せなくなって自殺してしまう。この非情なまでにストイックな国分の役は、『眠狂四郎』以上に雷蔵にとって、いつか演じなければいけない役として、執着があった作品であるという。鬼気迫るようなあの演技こそ、彼自身の死の美学、そのものであったに違いない。

夭折というには大スターでありすぎたけれども・・・・

お叱りを受けることを覚悟で書いてしまうならば、昔から密かに、美しい人には、美しいままで、いや、美しいうちに死んでほしいと思っていた。死んでほしいというのは、ちょっと違っているかもしれない。つまり、ロマンの場から潔く消えてほしいと思っていた。

だから、市川雷蔵の訃報を聞いた時に、まさかというよりは、「ああ、やっぱり・・・」という、どこか妙に納得のいく思いがしたような記憶がある。

市川雷蔵が亡くなったのは、昭和44年七月。折りしもその日、彼の生れ育った京の街は、祇園祭のクライマックス。夭折というには大スターでありすぎたけれども、まだ三十七歳の若さだった。

柩の中で眠る彼の顔は、大きな白い布で二重にくるまれていて、誰一人として、病み衰えたその死に顔を見た人はいなかったという。永遠に色あせることのない、二枚目俳優の美意識を貫いた、見事な終焉である。