《腹切り雷さま》

きちんと坐れば近頃の若い者には珍しい律儀さが

「雷蔵さんが腹を切るんだってさ

と云ったらファンは驚かれるでしょう。ところが、これは本当の話なんです。忠臣蔵の浅野内匠頭の役をやって切腹するのでもなし映画の上での話でもないのですからファンならずともギョッとする話題です。

真相は?!盲腸なんです!

「大阪物語」と「朱雀門」撮影中の頃ですから、三月中旬のことでしょうか、胃が悪く、グズグズ痛く、白血球が一万以上にもなってお医者さんに診てもらったのですが、盲腸炎と診断されました。

「浮舟」は御承知の通り、長谷川一夫さんの渡米前に撮影を終らせなければならず、雷蔵さんに云わせれば、

「非常に面白いやり甲斐のある役で、いわば王朝時代のアプレでドライな青年の役だから、どうしてもやりたい、チャンバラもこの二三本続けてやらないわけだけれど、動きが非常に苦労しながらやれる役」

というので、どうしても他の人に代ってやってもらうわけに行かず、雷蔵さんとしては、盲腸炎をおしてもやりぬこうという決心をかためました。

「ムカッ」と来たらすぐ切るつもりで、撮影現場に心やすいお医者さんについてもらい、夜間撮影でも定期的にオーレオマイシンを飲み続けながら撮影をやり通しました。薬を使用して盲腸をちらしつつ、ようやく「浮舟」をクランク・アップまでこぎつけました。しかしこのおかげで四月十三日に予定されていた東京後援会大会がお流れになったのは、ファンの皆さんにとってまことに残念なことだといわなければなりません。

東西撮影所のスケジュールは混乱し、封切りのラインアップも、雷蔵さんの手術いかんでたてられなくなってしまうという政治的要素も含まれていましたが、どうにかこの急場をしのぎました。盲腸の手術というのは、早いか遅いかということが手術の結果にも大へんに関係のあることなのですが、雷蔵さんの仕事への熱意がこのピンチを救ったわけなのです。

山の中のロケや船の上などで、どうしても切らなければならなくなったとしたら・・・まことに心細い限りだったのですが、ようやくほっと一息というところまでこぎつけたのでした。雷蔵さんも冗談のように、

「まるで時限バクダンをかかえているようやね」

と云いますが、あまり良い気持ちでなかったに違いありません。

ファンの皆さんが、この本を手にしている頃は、雷蔵さんはどこかの病院の一室で、静かに、自宅の庭からとりよせた桜の花でも眺めながら手術後の静養を続けていることでしょう。