RAIZO’94市川雷蔵映画祭

銀幕のスターとは彼のこと。観終わると拍手喝采したくなる活動写真のおもしろさ。('94・9・10)

時代ものでよし、現代ものでよし、文芸ものがこれまたよくて、お笑いもできる。市川雷蔵は、同じスターでも「格が違う」って感じがする。第一、何をやっても品があるもの。

37歳で夭折した雷蔵の没後25年特別企画として「RAIZO’94/市川雷蔵映画祭」が開催された。新旧のファンで回顧上映は連日盛況だったという。ホンモノは常に新鮮。雷蔵は銀幕の中でスターのまま永遠に生き続けるのだ。

耽美系の雷蔵は、映画館のスクリーンでその美を堪能するべきだが、お笑い系の雷ちゃんならビデオでも楽しめます。私が大好きなのは濡れ髪シリーズの「濡れ髪牡丹」だ。雷蔵は旅烏で、名前は濡れ髪の瓢太郎。名前がすできにキテるじゃないの。それで女親分の京マチ子の婿選びチャンバラ対決に挑むのだが、いつも彼女に負けてしまうのだ。雷蔵はこの映画で七変化してみせるのだが、そろばんの名手として腕前を披露するシーンが爆笑ものだ。両手にそろばんを持って、ものすごいスピードで両方同時にはじき出してしまう。そのバックに、ジャズみたいな音楽が流れていたのにも驚いた。それで御名算の後に、鼻の穴をプーッとおっぴろげて得意顔のポーズを作るの。低音の響きある声でシリアスに形を決める雷蔵は、もちろん類を見ないほどすばらしいが、こういう洒落っ気たっぷりの喜劇もできるのが彼の魅力だ。

時代劇での目ばりギンギン化粧を落とすと、雷蔵の顔は、想像以上に地味だ。身体もきゃしゃで、いかにも歌舞伎の女形が似合う体型をしている。だから彼は着流しの後姿をことのほか気にしたという。精悍にみえるように努力したらしい。もの言わぬ背中で演技できなければ、というのが雷蔵の持論だった。だが一転して、「炎上」や「ぼんち」の現代文芸ものを演じる雷蔵は、身体の貧弱さをさらけ出した。目ばりを取った顔はボョ〜ンとして間抜けだったが、この顔が主人公の複雑な心理を見事に表現して、私たちはまた雷蔵の非凡さを知るのだ。

(文春文庫「石川三千花の勝手にシネマ」99年4月10日刊より)