雷蔵 その片鱗を勉強と研究に依って大成させねばなりません。声帯だの、自分の身の廻りのものが、自分の性格や柄によくマッチしているかをよく研究することも、片鱗を育てる一つの要素ともなります。先代市川左団次は青年時代は台詞が悪かったそうですが欧州に遊んだ時、シェークスピア劇調の台詞を習得して、独特の台詞を作り出したが、これが左団次の人柄にぴったり合って、台詞の魅力によって大正歌舞伎の名優に大成しています。台詞の魅力も演技の魅力も、総てその人にぴったり合致したものでなければ魅力を発揮出来ないと思いますネ。

森さんはメーキャップはどうしておいでです。

 大抵メーキャップ師に作って貰っています。

雷蔵 初めの内は仕方がありませんが、馴れて来たら自分で研究して、自分に最も適したメーキャップを作り出すことも大切ですね。これも片鱗を大成させるに必要なことです。

 話題をかえますが、雷蔵さんは、秋の大作に「鳴門秘帖」にお出になるそうですが、それについてご抱負などをお聴かせ下さい。

雷蔵 「鳴門秘帖」という作品は、昔新聞に掲載され、大変な人気で、映画化も三社競作だったと聴いていますが、いくら昔受けたものにせよ、ご時勢が一転している今日、昔受けたものを再映画化すれば、又受けるという考え方は僕は賛成出来ないんです。歌舞伎は別ですが、映画スタアが同じ題材のものを何度もやるのもおかしいと思うんです。映画の場合にはもっと新しい題材がある筈だと思います。「大菩薩峠」「鳴門秘帖」「修羅八荒」等の名作のあとに続く、時代劇の名作が見当らないのも、心細いことですね。現代劇にくらべて時代劇は少し逆行しているのじゃないか、僕等若い者はこれでもいいのかと、やっていながら反省しているんですがネ−。

 同感ですネ。もっとオリジナルの時代劇が、どしどし出なくっちゃ面白くありませんね。

雷蔵 黒澤明監督一人前進して、あとは全部逆行じゃ、時代劇に命をかけている僕らは泣きたくなりますヨ。

 又話題をかえますが、新劇の人は、映画へ出ても大変うまいように感じられるのです。事実うまいのでしょうか。

雷蔵 統制のとれたリハーサルや個人の熱心な勉強が、ものをいうのでしょう。演劇に対する理解力も役立ちますネ。いま、大映の「鳴門秘帖」に滝沢修さんが敵役で出ていますが、娯楽映画なら娯楽映画なりのめりはりをハッキリと出しておられたのには、感心しましたネ。森さんの次の作品は決っているのですか。

 「大忠臣蔵」の若狭之助の外「狂恋女師匠」で、目明し役をやりましたが、これは町人は馴れないものですが、失敗しました。大曾根監督が「侍にっぽん」をおやりになれば出して頂けると思っています。

雷蔵 なるほど「侍にっぽん」は森さんにやらせたい役が沢山あるように思いますネ。それから森さん、僕はネ、さっきから森さんとお話している内に、一つのイメージを想い浮べました。それはネ、あの長駆痩身の机竜之助の姿ですよ。あなたが将来机竜之助の役をやる機会があったなら、恐らく「大菩薩峠」の読者のイメージそのままの机竜之助が実現するのじゃないか知らと一寸考えてみました。

 重ね重ねの光栄の御言葉ありがとうございます。僕も机竜之助という役は魅力のある役だと思っています。いつの機会かに、雷蔵さんの空想を実現したいものですナ。それには勉強です。今夜の会は僕には、大変参考になりました。雷蔵さんのいろいろなお言葉総て嬉しく拝聴致しました。

雷蔵 僕も今夜の会を御縁に、森さんを注目させて貰おうと思います。どうか片鱗を早く大成させて僕らを喜ばせて下さい。(「映画ファン」57年10月号より)