女性と交際のチャンスがない

 そしてまたふっと真面目な顔付きになり「これはな、いってみれば役者の業みたいなもんや」と付け加える。

 「僕はな、昨日も撮影所の連中と野球やってた。好きな野球でもやはり同じ仲間とやるいうのもな、その合い間合い間には仕事につながるものがあるからやな、これがいってみれば役者の業というもんやないか、いつどんな時でも仕事が頭から離れない・・・」

 だから役者の妻になる人には、こういう仕事をよく理解してくれる女性がほしいという。

 「この前、アメリカ映画の“五つの銅貨”を見たんや、あれは芸人が主人公でな、夫婦して舞台をやっている間に子どもが病気になってしまうんや。そこであわてて舞台をすてるという話やけど、こりゃあかんわ、僕は小どもが好きやからな」

 雷蔵が求めている女性は、家庭オンリーの佳人ということになるのだろうか。だが、二枚目の人気スターろもなればその生活の場が特殊であり、また交際範囲というものにも限界がある。ここに一生の伴侶をどこに求めるかという問題が残るということにもなる。

 「女性と交際する機会と時間もなかなかないでしょうし・・・」記者が半分いいかけると、雷蔵は大きく膝をのり出して、

 「うん、それやそれや・・・」と相づちを打つ。

 「普通のサラリーマンならな、黙っていても誰かが放っておかんやろ。ところがやな、僕等みたいなのには誰一人として、お嫁さんとの話ひとつもってこんよってな、この面からいうたら、僕等は不幸やで、ほんまに・・・」と涼しい目を大きく見張る。そして自分のことながら、いったいこれから先はどうなるんかいなと思うという。

 そして事実だとすれば、こういうむずかしい立場の中で錦ちゃんは良いお嫁さんを見付けたと、雷蔵はニコリ笑うのだ。

 「錦ちゃんを例に出しては悪いけどな、事実だったらあの二人の組み合わせは大変にええと思うわ。大体やな、あの二人は全然正反対に見えるやろ、僕はそれがいいと思うんやな」

 なぜ、見かけが違うといいのか。記者が首をかしげると、「僕のこれが相性論なんやけどな、パンのヘリの固いとこが好きな人がいるとするな、もう一人はそのヘリが嫌いで中のやわらかいとこが好きだとする。ひとつのパンをこの二人で食べてみいな。好き嫌いは違うが二人で完全にひとつのパンを消化することができるやないか」

 これが人間同士の理想の組み合わせやと雷蔵はいうのだ。見かけが例え正反対でも、どこかひとつでつながり合っていれば、その方が理想的なコンビネーションだという説なのだ。

 「な、見てみい、錦ちゃんはカラッとした人柄やし、有馬クンは知性派だしな、これはイカスと思うね、ほんまに・・・」

 雷蔵はもう一度いって、カラカラと笑いとばす。時が時だけに、錦之助と有馬稲子の婚約ニュース事件がとび出すが「僕にも僕のことがようわからへんのや」

 というのが二枚目の結婚問題ということらしいのだが、立っている場が特殊なだけに、一般男性と違った難しさがあることもよくわかるのだった。(週刊平凡 60年11月23日号)

“忠直”の扮装でスタジオを出る雷蔵