イチャモンて、どこかのお寺の門のこと?なんて真面目な顔付で質問した女優さんがいる。イチャモンとは、お色気方面で、イッチャっては文句をいうからイチャモンという説と、「いや、何によらず、いちいち文句ばっかり並べるからさ」

 といった説がございます。どっちにしてもことごとにうるさい連中のことである。

いちゃもん通れば一人前

 若手スターともなると、なかなかイチャモンなんて訳にはいかない。精々、衣裳だの、小道具に駄目出しをやって、イチャモンをつけるくらいなもの。

「将来、イチャモン・スターになる素質がある」

 と見られているのは、ここのところツイている市川雷蔵で、

「もう少し気分が出てから、今、でかかっていますから、もう、少し」

 なんて、監督のスタートにブレーキをかけている。なかなか立派なもんですが、どうも便ピみたいな気分になってくる。

雷よ続いて鳴れ

 ブルーリボン賞に輝く『炎上』出演以来、「時代劇は割りに合わん、第一現代劇はメーキャップは簡単だし、衣裳の着付けは十分もありゃたくさんだ。そこへ来ると時代劇はどうだ。セット・インの一時間前、いや物によると二時間も前から扮装を開始しなければ間に合わない」としきりにボヤキ乍ら、現代劇へ色気を見せているが、

 専ら『ジャン有馬の襲撃』『濡れ髪三度笠』式の使われ方しかしていない。ところがそこはそれジメジメそない秋晴れの如き性格のモダンボーイは、決して野暮なことは申さず、ラッパの吹くまま踊るジューナン性も持ち合わせているのである。

 また彼の毒舌は名物の一つだ。それも相手が誰でもと言うわけではないが、一たび嵯峨三智子や、山本富士子が向うにまわれば、知らない連中が見ていると「どうしてこの喧嘩、止めないのだろう」と思われる位のスサマジさである。

 そうした彼だから皆にも親しまれ、裏方連中から『炎上』の時の役名である「吾市」をもって呼ばれているが、当の雷蔵自身、ゴイチの呼び名が、うすのろを意味することをちゃーんと心得ているのだから楽しい。

 あまり褒め上げてばかりいても変だが、彼の場合、文句のつけようがないから困る。ついでだからこれも言って置かねば気が済まないが、雷蔵の勉強家振りも魅力の一つだ。たとえば「時代劇の俳優が、自動車にばかり凝るのもどうかと思う。自分の乗る馬位買わにゃあ」(競馬のための馬じゃないですよ)とポント威勢よく七万円で買い入れたが、飼育費が一万円もかかろうとは思わなかった・・・という間抜けたところもチャーンと備えているのである。

 今度彼もやっと念願の第二回現代劇出演も決定、山崎豊子の「ぼんち」に喜久治の役で活躍するのが楽しみだ。